祈りの8月 | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、8月です。

 

なぜか、8月は日本人にとって、特別な月です。

 

8月の風が静かに肌を撫でるとき、日本の夏は過去の影を呼び寄せます。青空に広がる蝉の声の中に、私たちは悲劇の記憶を織り込むように、静かに耳を澄ませます。

 

1945年8月、広島と長崎の空に閃光が走り、一瞬にして無数の命が光の中へと消えました。焦土と化した大地は、今なおその傷を抱え続けています。原子爆弾が投下されたあの日、天と地の境界が崩れ、静寂が深く沈殿しました。その静寂は、ただの静けさではなく、絶え間ない祈りと、二度と繰り返してはならない誓いが込められた沈黙です。

 

8月15日、終戦の日。戦火が止み、国中に広がったのは、勝利でも敗北でもなく、ただ重苦しい静寂でした。戦争という名の嵐が過ぎ去り、荒れ果てた大地に新たな芽が生えるのを待つかのように、人々は祈りを捧げました。その祈りには、戦争の痛みと共に、未来への希望が微かに込められていました。新しい平和の息吹が、静かに、しかし確実に大地を潤していくことを、誰もが願っていたのです。

 

さらに、1985年8月12日、御巣鷹山でのあの悲劇。青々とした山々が、520人の命を優しく包み込んだあの日。自然の静謐の中に響く哀しみの声は、今も消えることなく私たちの心に訴えかけます。空を飛ぶはずだった命たちは、山の深い緑に溶け込み、その声は風に乗って遠くまで届いているかのようです。

 

8月、この月は過去と未来が交わる場所。ぼくらは、歴史の重さに押しつぶされそうになりながらも、その重みを背負って歩み続けます。忘れることなく、しかしその痛みに囚われることもなく、ただ静かに平和を願い、共に手を取り合うことが、私たちに求められているのです。過去の影に覆われたこの季節に、私たちは深い祈りを捧げながら、未来への希望を心に灯し続けるのです。