自然な流れ | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
一日に数本書いていますので、遡って読んで下さいね。

・・・・・・・っということで、こういう話題で書くと、途端にアクセスが激減します。(^^ゞ

 

でも、社会の動きに興味を持ち続けることは(ボケ防止のためにも)大切だと思っています。

 

興味のない方は、ここで回れ右してくださいね。<(_ _)>

 

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2年前の2月24日に、ロシア軍が一斉に国境を超えてウクライナに殺到しました。

 

当時の空気をよく覚えているのですが、軍事演習との口実でロシア軍が大量に国境に集結していました。

 

西側の論調は侵略することはないだろうでした。

 

ぼくも、プーチンはそんなにバカじゃないと考えていました。

 

そういった楽観論は見事に裏切られてしまったのはご存知の通りです。

 

アメリカの一部の情報だけが侵略は間違いないと伝えていました。

 

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1週間以内に終わる計画だった特別軍事作戦は、2年半が経とうとする今も続いています。

 

バカかどうかは別にして、あきらかなプーチンの失敗です。

 

失敗の原因はたくさん考えられますが、今回はなぜプーチンがウクライナ侵攻を決心したかを考えてみます。

 

プーチンの経歴を見ると、彼は力の行使が大好きな人物であることがわかります。

 

1.    第二次チェチェン戦争(1999-2000)

プーチンが首相に就任した直後にチェチェン共和国で分離独立運動が発生します。

 

これに対して、プーチンは大規模な軍事行動で答えました。

 

多くの戦死者を出しましたが、この戦争で彼は「強いリーダー」としてのイメージを確立し、2000年に大統領に就任します。

 

    2.    グルジア(ジョージア)紛争(2008)

南オセチアとアブハジアの分離独立を巡る紛争です。

 

プーチンはこれに軍事介入し、短期間の戦争によって南オセチアとアブハジア両地域を実効支配し、事実上の独立国とすることに成功しました。

 

西側はほとんど興味を示しませんでした。

 

    3.    クリミア半島の併合(2014)

まるでヒトラーがズデーテン地方を併合したように、一方的にウクライナからクリミア半島を奪いました。

 

ウクライナ側の抗戦は起きず、逆に好意を持って迎えられたとの印象を世界に与えました。

 

西側は経済制裁をもってこれに応じましたが、それほどの本気度が見られませんでした。

 

    4.    シリア内戦への介入(2015-現在)

シリア内戦において、プーチンはアサド政権を支援するために軍事介入しました。

 

主にロシア空軍の支援により、アサド政権は息を吹き返しました。

 

    5.    ウクライナ侵略戦争(2022-現在):

クリミア半島併合ののち、ウクライナ東部のドンバス地域での親ロシア派武装勢力を支援しました。

 

これを梃子にこの地域を独立させようとする手法は、グルジア(ジョージア)で用いた手法と同じです。

 

ウクライナでの親ロ傀儡政権樹立を目指し、ウクライナ侵略を決行しました。

 

こうやって見ていくと、プーチンは自身の政治目標を達成するために武力を行使することに躊躇せず、その全てに成功してきたことが分かります。

 

遅ればせながら、ぼくは侵略の背景が納得できました。

 

ウクライナ侵攻は実に自然な流れだったのです。

 

成功を重ねることによりプーチンは自信をつけ、それに従い西側をナメてかかるようになったのです。

 

専門家ならプーチンの行動予測は簡単で、楽観論など出なかったはずです。

 

そういう意味において、西側の責任は大きいのです。

 

以上ですが、面白かったですか?^m^