・・・・・・・っということで、この映画は理屈で考えてはダメです。
監督はあの【燃ゆる女の肖像】で知られています。
8歳の少女が祖母を亡くし、両親に連れられて祖母が住んでいた家の片付けに行くと、森で8歳の母に出会うというストーリーです。
見立てはSFですが、サイエンス・フィクションの要素は全く見せません。
子供の母親に自分はあなたの娘だよと言っても、何事もなかったようにさらりとかわされ、物語は進んでいきます。
男性は理屈っぽい生き物ですから、こんな「理屈」で理解できない展開に拒否反応を示してしまいます。
そうじゃないんです、この映画は理屈で理解することを放棄しなければならないのです。
それでも、何を言いたいのかこの映画は?・・・は、男女共通の疑問でしょう。
あえて言いたいことは、自分の母親が自分と同じ歳だった頃、何を考え感じていたのだろうという、だれでも持つ疑問を想映像化して見せただけです。
そういう点で、理屈で考える男性より、女性の方がこの映画と波長を合わせることができるでしょう。
主人公の少女は、監督自身を投影していると考えて間違い無いでしょう。
この子は頭がいい。
クロスワードパズルをさらりと解いて見せます。
この子は思いやりのある優しい子です。
運転する母親に後部座席から、スナックを口に入れてくれたり、ジュースを飲ませてくれます。
祖母の死に際し、さようならを言えなかったことを後悔しています。
そして、感受性がとても強い。
なぜなら、この映画全体が彼女の妄想で成り立っているからです。
母親も感受性が強い。
娘と二人で創作劇を演じたり、木の枝を集めて家を作ったりします。
勉強が得意というより、芸術面での才能が豊かです。
その芸術的な才能は、少女の祖母からも受け継いでいるはずです。
彼女は、その持て余すほどの感受性を扱いかねているように見えます。
そんな自分を理解してくれるのは、母親であって、その母親に会いに行くのは必然なのです。
理解してもらうには、今の大人になった母親じゃダメで、やはり少女だった頃の母と分かち合わなくてはならないのです。
子供ならではの漠然とした不安。
子供ならではの漠然とした悲しみ。
夜になって、ベッドの麓に黒いヒョウが見えたり、自分の足が不自由になるのではないかとの不安。
【燃ゆる女の肖像】の監督ですから、同性愛に持っていくのかと思ったら違います。
さらに、娘と母との愛憎には実に複雑なものがあります。
しかし、その方向にも進まない。
あくまでも、感情の起伏を極端に減らして映像は淡々と進んでいきます。
この映画は監督自身の気持ちを整理するための、プライベート色の強い映画のように思われます。
以上、ずいぶん理屈っぽく書いてしまいました。(;^_^A
短いですが、記憶に残る映画です。
★★★★☆
