・・・・・・・っということで、アキ・カウリスマキ祭りの続きです。
前回見た【マッチ工場の少女】に続く’プロレタリアート3部作’の2作目。
カウリスマキ監督中毒患者じゃなければ、何これ?という印象しか残らないでしょう。
彼の映画を見るには、どうやら作法があるみたいです。
セリフは極端に少なく、その代わり表情で感情を表します。
物語に繋がりがあるようで無いようなのは、観客の興味を繋げるための彼独特のテクニックです。
社会の底辺で生きる男女を描きます。
外部から見れば、悲惨な状況ですが、彼らはそれほど深刻にはなっていない。
じゃあプライドを捨てているかというと、そうじゃない。
逆なのです。
共通するのは不器用さ。
彼の作品の主人公たちは、世の中を渡るのが実に不器用です。
会話で多いのは、「どうして?」と聞かれて「別に」と答えるパターン。
どうしてそういう行動をとるのか?普通は理由があると思いがちです。
しかし、本人たちは理由があって選択しているわけじゃない。
説明のつかない何かが行動を選択しているのです。
それって、人生の本質でしょう。
逆に、理由があるのは不自然で不誠実な生き方じゃないかな?
そういう不器用だけど誠実な人々を描くのが、カウリスマキが常に狙っているところです。
本作も、二人が説明のつかないことでお互い惹かれている。
特にここが好きというわけでもない。
いつ別れても後悔はしない。
だから、逆につっけんどんな態度をとる。
だけれど、実際に別れると相手が愛おしくなる。
そこに、理由はない。
そんなことを繰り返して、男は衝動的に女に求婚し、現在の仕事を投げ捨てて別の世界を目指す。
映画の最後は、二人を乗せた連絡船が荒波に向かって出航していくシーンで終わります。
計算されていないようで、緻密に計算されているんですね。
★★★★☆