・・・・・・・っということで、ジャーナリズムとは(その1)を書いてからずいぶん経ってしまいました。(^^ゞ
ジャーナリズムについて考えれば考えるほど、考えが拡散していしまい、なかなか集約しません。(TT)
ジャーナリズムはインターネットの出現で危機に貧していますが、必要かと問われれば、絶対に必要なものです。
何故かというと、「言論の自由」そのものを体現しているからです。
憲法第二十一条の第二項では「検閲は、これをしてはならない」と定められており、検閲は明確に禁止されています。
決して言論の自由は他者から侵害されてはならないのです。
言論の自由といっても、個人と違ってジャーナリズムの対象はマス(mass)を対象にしていますので、より大きな責任を伴う権利なのです。
ですから、ジャーナリズムに求められるのは、
1)報道の正確性
2)報道の客観性
3)報道の選択(何を報道すべきかの取捨選択)
なのです。
SNSで個人が勝手に発言するのとは、レベル(質)が違うのです。
その1で触れたように、「第四権力」と言われるくらいですから、独立性が求められます。
独立性を保つには、公的な発表に頼らず丹念な取材によって情報を集め、それを積み上げて外からは見えない真実を突き止める必要があるのです。
これこそがジャーナリズムの神髄なのです。
ですから、「金が掛かる」のです。
・・・・・・・
インターネットによる情報の氾濫の中で、ジャーナリズムとはぼくらにとって何なのか?
難しい問題だけれど、一人一人が考えなければならないでしょう。
国民にとって、マトモな(健全な)ジャーナリズムを持つことがいかに大切か、歴史に学ばずとも、非常に身近な問題なのです。
今回のトランプ支持者たちの連邦議会襲撃事件が問いかけているのは、正にそういうことだと認識すべきなのです。
・・・まだつづく。
