・・・・・・・っということで、元寇は2度に渡って日本に侵攻し、2度とも撃退されています。
文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)です。
主戦場は九州北部ですが、壱岐・対馬は通過点となり、荒らされるだけ荒らされました。
日本は勝利しましたが、鎌倉幕府の息の根を止める遠因となりました。
ぼくは(たぶん多くの日本人も)これへの復讐(?)は、朝鮮出兵と呼ばれる文禄の役20(1592年-1593年8月5日)まで成されていないと思っていました。
対馬を旅行していたとき、1419年朝鮮が対馬に攻めてきたという記述を知ったのです。
「応永の外寇」と呼ばれる、李氏王朝が倭寇撃退を名目にした侵攻だったのです。
当初は、第三次元寇と思われたそうです。
最後の元寇から138年後の出来事です。
朝鮮は227隻、17,285名といわれる軍勢でしたから、堂々たる侵略軍ですよね。
上陸地点は、あの烏帽子岳の麓にあった和多津美神社の辺りです。
それに対して、劣勢の対馬軍(宗氏)は果敢に迎え撃ち、一方的な勝利を得ました。(1/30の兵力でした。)
ザマァ~ミロですね。(^^ゞ
対馬人エライ。(^^)/
元寇の借りを返した。
まぁ~それはさておき、テーマは【倭寇】です。
倭寇については学校で習いましたが、海賊だったこと以外知りませんよね。
・・・つづく。