・・・・・・・っということで、100名城のなかでこの鬼ノ城は中世の城ではなく、古代の城です。
7世紀頃とされています。

丘の頂上付近を広く城壁で囲い、立て籠る目的のようです。

なぜ、ここに立て籠る必要があったのか?
それは白江村の戦いで日本軍が大敗したからです。

当時は、中国と朝鮮の連合軍が日本に攻め込んでくるのではないかと恐怖に駈られたのです。

↓このジオラマは分かりやすいですね。

この城は備中松山城と位置的に近い場所にあります。
九州から山陽道を通る防衛の要衝だったからでしょう。
この後訪れる備中高松城も近いです。
ここは考古学に興味がある人が、日がな一日ハイキングするのに向いています。
道が狭く、すれ違いに苦労しますよ。(^^)/