秀吉が水攻めした備中高松城 | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・・っということで、備中高松城は名城100選には入っていません。

しかし、名前だけは超有名ですよね。

秀吉が水攻めしたからです。

城跡には城らしき面影は残っていません。


ここで切腹した城主の清水宗治の石碑が残るだけです。


首塚もあります。↓


土盛りの周囲は池があって、この地帯は湿地であったことが想像されます。


城のあった土盛り。↓


周囲を見渡すと、まさかここを水没させようと発想したのか理解できません。

周囲を囲む山が遠くにしか見えないからです。

ぼくが思うに、ここはすでに湿地帯でその湿地の足場の悪さを利用して防御していたはずなのです。

今まで見てきた城と全く異なった防御システムだったのです。

たぶん物資を運びいれる細い盛り土の道が何本か繋がっていたはずです。

秀吉は、洪水を起こすことによって、その道を水没させてしまったに違いないのです。

ですから、城自体を水没させようとしたのではないとぼくは思うのです。

要するに兵糧の通路を絶ったのです。

ご存知のように、本能寺の変を知った秀吉は急遽講和を結び、中国大返しを成功させたのでした。