赤穂城です(その2) | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、赤穂城のつづき。

平城ですが、当時は海岸に接して建設されていました。

こういう地形の変化はなかなか理解しづらいです。

安土城も、びわ湖の湖畔間近だったことが理解され難いです。


中心部も驚くほど広いです。

赤穂城には天守閣は築かれませんでした。

その代わり、広大な御殿が作られました。

庭園を前にして、建っていた御殿を再建するのではなく、間取りだけを展示しているのです。↓

こういうアイデアは想像力を刺激して、何でも金をかけりゃいいという発想に一石を投じるものだと思います。


天守閣がなくとも天守台はありました。↓


↓そこからの眺めです。


赤穂城は家康が江戸幕府を開いてから建設されました。

ですから、戦闘用というより、行政主体の城と言えるでしょう。

ぜんぜんチマチマしていません。(^^)/

弓矢より火縄銃主体の眼鏡でしょう。



↓えっと、有名な兵法学者。

そうそう、山鹿素行でした。(^^ゞ


石垣はどれも真新しく、赤穂市民が城ににかける情熱が伝わってきます。

かつての城下町が城にかける情熱は、単なる町興しや、観光収入目当てではない何かを感じますね。



47士を奉った神社があります。↓




一応押さえておくべき観光スポットということで。