地図を見れば明らかで、太平洋側の東京なんて、いくら優れた湾があったとしても辺境の地でした。
丸太舟→帆掛け船→帆船→蒸気船→いわゆる動力船→航空機と発達するにつれ、ようやく東京が表玄関になったのですね。
ペリーが江戸にやって来たのが1853年、それまでは九州北部が日本の表玄関だったのです。
日本の歴史を学ぶ上で、これは基本中の基本なのですが、つい東京中心に考えがちになりますね。
文化や文明の殆どが朝鮮半島経由で伝わってきたことは、いくら国粋主義者でも認めなきゃならない。
文明も来るけど、災いも来る。
元寇の上陸目的地が北九州だったのはアタリマエ過ぎるんですね。
朝鮮海峡の島伝いに海を渡るとき、西から東に向かって流れる対馬海流の影響はとても大きい。
元寇の一部が島根に流され、地元の侍たちにやっつけられてしまったのはあまり知られていません。
今でも北朝鮮から漂流物やら漂流漁船やらがこの海流に乗って漂着しますもんね。
その対馬海流を辿れば、能登半島にぶつかる。
半島の東側付け根に、うまい具合に若狭湾があるんですね。
時代が進むにつれて航海技術が進歩すると、この若狭湾がとても重要な役割を果たすのは当然ですね。
表玄関は相変わらず博多湾だったとしても、第二の表玄関と言って良いくらいの地理的条件を備えているでしょ?
だって、京都にものすごく近い。
その上、琵琶湖を水路として利用できる。
大量の物資を運ぶにはとても適している。
関門海峡を抜けて瀬戸内海を通るルートは航海技術が容易だけれど、若狭湾ルートはそれに負けないくらい大きな役割を果たしていたに違いないのです。
歴史に詳しい人ならアタリマエの常識なのでしょうが、いまぼくが興味があるのが、この若狭湾から北陸地方が果たした役割なんです。
・・・続く。