時計について | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、部屋のあちこちに時計がある。

リビングには前と後ろの壁にかかっている。

台所、洗面所、トイレ、もちろん各部屋に目覚まし時計やら何やら。

風呂場に時計を掛けている家庭もあるだろう。

時計がないと落ち着かないのである。

ときどき電池切れで大きく時間が狂っていることがある。

それでもしばらく気付かずに過ごしている。

・・・・・・・

果たして正確な時間を知る必要があるのだろうか?・・・と考える。

最近の時計は、電波をキャッチして秒単位で正確である。

もちろん出勤したり、登校したり遅刻をしたらまずいので、正確な時間は生活の必需品だ。

電車だって、会社だって、学校だって秒単位で動いているからだ。

あれっ?これって、人間が時間に動かされているんじゃないの?

極端な話、仕事の成果が上がれば、きちんと学んで成績が上がっていれば、さらにちゃんと生活できていれば、別に秒単位で生活しないでもいいのでは?

・・・っと考えるのは、定年で大雑把に時を過ごしている身分だからだろう。

しかし、おやっ?この時計狂っているんじゃないと気付かない人間は悲しい。

・・・・・・・

時計のない生活を考えてみよう。

どうするだろう?

先ず太陽の位置を感じるだろう。

太陽が隠れているときは、その日の天気に気を配り、おおよその時間を把握するだろう。

時間を感じる行為は四季を感じることであり、自然を観察する感覚を磨くことになるだろう。

昔の人なら、月の位置と大きさも感覚の中にインプットされていただろう。

それって人間らしい、いや、生物として自然な感覚ではないだろうか。

そういう感覚が悲惨なほど乏しくなった自分。

定年になる前に、そういうことを考えるのは無意味じゃないと思うのだが、どうだろう。