・・・・・・・っということで、部屋のあちこちに時計がある。
リビングには前と後ろの壁にかかっている。
台所、洗面所、トイレ、もちろん各部屋に目覚まし時計やら何やら。
風呂場に時計を掛けている家庭もあるだろう。
時計がないと落ち着かないのである。
ときどき電池切れで大きく時間が狂っていることがある。
それでもしばらく気付かずに過ごしている。
・・・・・・・
果たして正確な時間を知る必要があるのだろうか?・・・と考える。
最近の時計は、電波をキャッチして秒単位で正確である。
もちろん出勤したり、登校したり遅刻をしたらまずいので、正確な時間は生活の必需品だ。
電車だって、会社だって、学校だって秒単位で動いているからだ。
あれっ?これって、人間が時間に動かされているんじゃないの?
極端な話、仕事の成果が上がれば、きちんと学んで成績が上がっていれば、さらにちゃんと生活できていれば、別に秒単位で生活しないでもいいのでは?
・・・っと考えるのは、定年で大雑把に時を過ごしている身分だからだろう。
しかし、おやっ?この時計狂っているんじゃないと気付かない人間は悲しい。
・・・・・・・
時計のない生活を考えてみよう。
どうするだろう?
先ず太陽の位置を感じるだろう。
太陽が隠れているときは、その日の天気に気を配り、おおよその時間を把握するだろう。
時間を感じる行為は四季を感じることであり、自然を観察する感覚を磨くことになるだろう。
昔の人なら、月の位置と大きさも感覚の中にインプットされていただろう。
それって人間らしい、いや、生物として自然な感覚ではないだろうか。
そういう感覚が悲惨なほど乏しくなった自分。
定年になる前に、そういうことを考えるのは無意味じゃないと思うのだが、どうだろう。