関ヶ原 | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、いつもは列車で通り過ぎるだけだった関が原に、ついにやって来ました。(^O^)/

 

ヘンな場所に駐車してしまい、ここはどこ?ってな状況に陥りました。

 

トランクから折りたたみ自転車を出して、いよいよ関が原探索です。

 

軽トラックに乗っていたオジサンに関が原の駅はどこですか?と聞いたら、かなり西の外れいにいることが分かりました。

 

とにかく駅へ行けば、地図くらいは置いてあるだろうという発想です。

 

関が原は大きな盆地です。

 

【関が原は町全体が古戦場】というキャッチコピーがあちこちに掲げてあります。

 

なかなか上手いコピーだと感じました。

 

実際そうなんですから。

 

街中に案内標識が数多く立っています。

 

駅に向かう途中、コチラが石田三成の本陣という標識があり、そちらへ向かう。

 

遠目には、人形だと思いました。↓

 

しかし、近づくと指先や地下足袋はどう見ても人間のもの。

 

じっと動かないパフォーマンスだったのです。

 

しかし、動かないなぁ~~

 

観光客たちが一緒に写真に納まっています。

 

最後まで人間だと気付かない人もいます。

 

この黒ずくめの鎧を着て、炎天下立ち続けるのです。

 

駐車場の誘導員に聞いたら、30分おきに休むみたいです。^m^

 


 

そんなことはどうでもいいので、背後の丘に登ります。

 

今日はほんとに山登りが多いな。

 

結論を言えば、関が原はここさえ見ればほとんど分かります。


 

そこにある説明写真がとてもよく出来ていて、戦場の様子をよく理解することが出来ます。


 

そっか、あっちの道から徳川勢が進軍して陣地を構え、こちらはこうやって迎え撃ったのか。

 

あそこが、憎っくき小早川が陣を張って、あそこから裏切り行動をとったのか。

 

手に取るように分かります。


 

そう、戦場全体が手に取るように分かるのです。

 

関が原におけるベストポジションに石田三成は陣を構えたのです。

 

やっぱ、優秀な人間だったんですね。

 

ここさえ取っておけば、勝利間違いなし。ぁ

 

ぼくは、広範囲に戦闘が行われたと思っていたのですが、案外狭い平坦な場所で戦われたのですね。

 

農地の中央やや左にある林が見えますかね。↓

 

ここが決戦地の中心です。


 

 

その決戦地がココ。↓

 

歴史好きが数多く集まっています。

 

鎧のコスプレした職員が最近は観光バスも多く乗り付けてきて、やっぱ映画の影響でしょうかねぇ~

 

と言っていました。

 

そっかぁ~~~【関が原】という映画が公開されているんですね。


 

↓中央やや左の低い丘が石田三成の本陣です。


 

標識に従って走り回っていれば、主だった箇所は大体見ることが出来ます。

 

立派な郷土館があり、遅まきながらそこで案内地図を入手します。

 

↓首塚のひとつです。

 

なんか、怨念を感じたので、手を合わせておきました。

 

 

ココが家康の陣地跡です。↓

 

圧倒的な不利な地形なのに、何で勝利したのでしょうね。

 

流石に戦巧者の本領発揮ですね。


 

↓ココが開戦地だそうです。


 

さて、実際に訪れてみると、何で西軍側が負けたのか、考えざるを得なくなります。

 

布陣を見ると、素人の目でさえ西軍が有利なのが明白です。

 

関が原の戦いの推移は皆さんのほうが詳しいと思いますので、ここでは書きません。

 

先に布陣して待ち構える敵に対して、平然と進軍してきた家康。

 

勝利を確信していた石田三成。

 

裏切りが結果を左右したのは、現代のぼくらは知っているのだけれど、なんかそれだけじゃない、超人間的な要素が働いたとしか思えないのです。

 

諜略戦で家康のほうが遥かに上回っていたのは事実です。

 

しかし、眼下に広がる古戦場を眺めていると、そういったものとは別の、

 

なんというか、歴史の必然性というか、

 

人知の及ばない何か大きな要素があるような気がするのです。

 

関が原は町全体がテーマパークのようで楽しい場所です。

 

興味がない人も、一度は訪れてみる価値があるでしょう。(^^♪