小谷城 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、姉川の戦いの次は 賤ヶ岳の戦いだとばかりにそちらに向かっていて、トイレタイムで入った道の駅にこの銅像が建っていました。↓

 

その説明文に「小谷城」に夫である浅井長政と共に立てこもったものの、娘たちと一緒に逃がされたと書いてありました。

 

小谷城? この近く?

 

なら、見に行ってみようとカーナビに打ち込んだけど出てこない。

 

小さな城に違いないと思って、それらしい場所に行くことに。

 

 

行き着いた先は、何にもないところ。

 

そっか、小谷城は碑も立たないほどの粗末な城だったんだと、次の目的地である 賤ヶ岳に向かう。

 

その途中、道路標識に小谷城コチラとでかでかと表示されているではないか。

 

行き着くと、「小谷城跡ガイド館 浅井三代の里」という立派な施設があったのです。

 

その他にも「小谷城戦国歴史資料館」なんていう本格的な施設まであるのです。

 

いわば、小谷城は地域全体を上げての町興しの目玉だったのです。

 

なのに、なんでカーナビに入っていないのか?

 

じつは、「こたに」じゃなくて「おだに」だったのです。(ーー;)


 

↑この陳腐な像の後ろが城山です。

 

ここまで来たら、登るしかないじゃないですか。

 

実はかなり上まで車で行けるのです。

 

途中までですがね。

 

そこから、徒歩で登ります。

 

本日二回目の登山。

 

やっぱり汗がぼたぼた滴り落ちます。

 

本丸近くの門跡前にある石。↓

 

裏切り者の首を載せたそうです。

 

本当かどうか分かりませんが、妙に生々しい印象を与えます。


 

登る途中途中にこのような説明版があります。

 

安土城も奥深い山だと思いましたが、ここはそれ以上の奥行きがあります。

 

天守閣がそびえる城というより、山奥に築かれた砦という印象を受けます。


 

↓ここが本丸ですが、実際は御殿が建っていた場所のようです。




 

本丸(御殿)の後ろにさらに小高い山があり、周囲に石垣が築かれています。↓

 

この奥にさらに山並みは続きます。


 

↓この碑を建てる費用がなかなか集まらず、苦労したとのこと。


 

遠く琵琶湖方面を望みます。↓


 

立て篭もった浅井長政を囲んだ秀吉軍がなかなか落とせなかった理由は、この山の奥深さにあると思います。

 

登っている途中、子供の笑い声を聞いたような錯覚に陥りました。

 

お市の方の幼い三人の娘たちもこの山道を何度も上り下りしたことでしょう。

 

たぶん、戦のことは何も分からず、無邪気にじゃれあいながら通ったことでしょう。

 

浅井長政はこの城を枕に自刃して果てるのですが、お市の方と三人の娘たちは彼の強い勧めで逃がされて生きながらえます。

 

浅井長政とお市の方は真実の愛で結ばれていた夫婦だといわれています。

 

娘たちはその後数奇な運命をたどりますが、母であるお市の方は、この後に訪問する 賤ヶ岳で敗れることになる柴田勝家と再婚し、彼と共に自害することになる運命をたどったのです。

 

いやぁ~~歴史って面白いですね。(^O^)/