・・・・・・・っということで、記憶が薄れない前にまず九州旅行のまとめを書いておきます。
今回の目的は元寇と隠れキリシタンの二つでしたが、まず元寇について。
当時の日本人に、日本人である自覚があったかどうか、現代から見て当たり前のことに疑問を持ってみます。
結果として、モンゴル帝国の侵略から「日本」を守ったという歴史評価が下されています。
あの時負けていたら、今の日本はこのような形で存在していなかったに違いない。
通説では二回とも「神風」が吹いて、日本を守ってくれたことになっています。
確かに、嵐が来て元軍の大半が海底に沈みました。
しかし、何度かここで触れたように、ぼくはそれが主因じゃないと思うのです。
やはり、鎌倉時代の武士たちの奮闘があったからこそ、日本は防衛できたのだとぼくは信じて疑いません。
神風神話が、その後に太平洋戦争のときにうまく利用されたのはご存知のとおりです。
神風を信じて、いったい何人の若者を中心とする日本人が無駄に死んでいったことでしょう。
日本人はこのことを、もっとまじめに受け取らなくてはならないと思うのです。
そういう意味で、元寇のことを考えることは意味のあることじゃないでしょうか。
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幕府軍の到着前に、地方軍(?)が外国の進入を食い止めたことは驚くべきことです。
それほど日本側に「戦意」が高かったのはどうしてでしょう。
最初に書いたように、彼らに日本を守るという愛国意識があったとは思えません。
当時の武士たちの心理、すなわち「手柄」を立て、褒美として領土を獲得したかったのが主因ではないでしょうか。
そうはいっても、外国軍と戦うためには、ばらばらであっては勝ち目はありません。
結束して戦う必要があります。
その結束させるのに大いに役立ったのが「防塁」だと思うのです。
海岸線の防塁はかなり長いものですから、分担作業で築かなければなりません。
防塁を見ると、分担した地域の差が見られます。
統一規格で建設されたものではありません。
日本人独特の、隣には負けられんワという競争意識が働いたことでしょう。
結果として、ばらばらにはならずに防衛意識が統一されたのです。
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防塁は大体3メートルという微妙な高さです。
確かによじ登るには辛い高さです。
しかし、ひとたび敵に背後に回られてしまったら、何の意味もありません。
防塁は当然、海岸線と内陸側と何段階に分けて防衛ラインが築かれています。
大胆なことを言ってしまえば、防塁は実際にはあまり役立たなかったと思っています。
これから上陸しようとする元軍は、目の前に長々と続く防塁を見たことによって、戦意に影響を与えたことは確かでしょう。
それよりも、日本軍(?)側を結束させたという役割のほうが強いとぼくは思うのです。
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ついでに大胆なことを言わせてもらうと。
もし、元軍が上陸に成功して九州に攻め入ったとしても、日本は占領されていなかったと思うのです。
元にとって、海上を渡ることが実に苦手でした。
それは、騎馬民族であったことが原因でしょう。
元が日本侵略を開始する以前、彼らは朝鮮半島を占領します。
ところが、かなりてこずっているのです。
ソウルからちょっと離れた小島に立て篭もった朝鮮政府を攻略できなかったのです。
そこで、元寇のときの元軍の数。
文永の役2万7千人~4万人。
弘安の役14万~16万人。
これで、日本を占領できるでしょうか。
当然、補給は続けられるでしょう。
しかし、苦手な海上をピストン輸送する必要があります。
元軍が、鎌倉を攻略するまでにどれほどの時間と兵力が必要だったのでしょう。
ぼくは、元の侵略軍の数が少なすぎると思うのです。
なぜなら、秀吉が実施した文禄・慶長の役で投入した兵力は、16万人と14万人です。
それでも、成功しなかった。
あの小さな半島を占領するのに。
以上、元寇についての感想でした。