彼の小さな記念館が出津(シツ)にあります。
ここを管理しているオバチャンが実にユニークな方ですから是非声をかけてください。(^0^)/


そもそも彼は活版印刷の技術を伝える名目で日本に招聘されました。
グーテンベルクと同じように、キリスト教にとって印刷と布教活動は切っても切れない間柄です。分かりますよね。
印刷されたキリスト関係の出版物。↓

↓左は政府に対して布教活動の許可を得るための申請書。
右は結婚する際に提出させた4代にわたる家系図。
キリスト教の結婚式を執り行う際、近親結婚を避けるためのものです。
このような小さな村では、親戚同士の結婚は避けがたいですよね。
それを絶対にさせない方針を司祭たちはとったのです。
こういう配慮がいかにも西洋風で面白い。
さらに面白いのが、四角に書かれているのが三段目までが苗字なしなのです。
そして、全部がクリスチャンネームを持っているのです。
スゴイでしょ?
村中が隠れキリシタンだったのですよ。
こんな説明をオバサンは飄々と話してくれるのです。

↓これは布教活動許可証でしたかね。

実は明治になっても政府はキリスト教を認めなかったのですね。
しかし、そのような方針だと、不平等条約の改正を認めてもらえない。
だから、渋々許可をしたのです。
これはド・ロ神父の妻?が出発する際に渡した手縫いの法衣です。
宝石は本物で、彼がいかに裕福な家庭の出身だったかが解ります。

オバサンの身の上話しも面白いですよ。
彼女も生まれたときに洗礼を受け(幼児洗礼?)クリスチャンですが、若い頃村を出て都会でやんちゃしたそうです。
教会もほとんど行かなかったそうですが、今では村に舞い戻って記念館の面倒を見ています。
彼女が幼かったころ、隠れキリシタンの頃の辛さをだいぶ聞かされたそうです。
その頃は分からなかったけど、クラスメートの中に地元の方言とちょっと異なった、何が角がある話し方をする子が居たそうです。
後から知ったそうですが、取り締まる側の子孫だったそうです。
今でも聞けばすぐ分かると、丸い方言で話してくれました。
ねっ、面白いでしょ?
・・・つづく。