・・・・・・・っということで、2013年にヨーロッパ旅行をしたとき、テーマのひとつが何故オランダだけが鎖国下の日本で交易を続けられたのか?というものでした。
残念ながら、オランダを訪問してもその答えは得られませんでした。
あれから4年経って、ぼくなりに疑問を持ち続けた結果、なんとなく分かってきたことがあります。
あくまでも、現時点で理解した範囲ですから、今後変化する可能性はとても高いのですが。(^^ゞ
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日本に対して先にアプローチしたのがスペインとポルトガルです。
ところが、遅れてやって来たオランダを幕府は選択しました。
なぜか?
スペインとポルトガルはガチガチのカソリック国です。
それに引き換え、オランダは早くからプロテスタント(新教)を受け入れています。
スペイン領であったオランダがイギリスの援助を得て独立したのは、まさにプロテスタントだったからなのです。
なぜ、オランダはプロテスタントなのか。
それは、オランダは商業立国だからなのです。
教会の古い権威などは、商業を阻害する要因以外のものではありません。
海面下のオランダの国民性は、名より実を取る精神なのです。
後発のオランダは幕府に対して、カソリック国は日本を占領しようという野心があると吹き込んだのです。
要するにチクったのです。
そのチクリは決して的外れではなかったので、競争相手を排除する上で実に効果的でした。
さらに、彼らは日本の風習も積極的に取り入れました。
靴も脱ぐし、正座もするし、日本の役人に対して頭も下げました。
自分たちが進んでいるという態度は決して見せず、日本にへりくだったのです。
その後、260年間という長期間江戸幕府は続き、その間、海外情報の窓口はオランダと中国に限られてしまいました。
当然のことながら、彼らは情報操作をしました。
自分たちに都合の悪いことは、幕府の耳に入れなかったのです。
アメリカのペリー来航、その後のイギリスの進出に遭って、幕府は初めて自分たちの世間知らずを思い知らされたのです。
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以上が、オランダという国民性なのです。
実にしたたかですね。
これだけしたたかだと、軽蔑するとは逆に感心させられてしまいます。
オランダはヨーロッパにあって、現在でもその存在感は不動のものがあります。
日本人が大いに参考にすべき国ではないでしょうか。
(追記)
これを書いてからイヤぁ~なことを思い出してしまいました。
いつだったか、カンボジアの選挙監視だったか忘れてしまいましたが、日本のODA(無償援助活動)かなにかで日本の文民警察官が殉職しましたよね。
銃弾を受け瀕死の警官を、まさに飛び立とうとするヘリコプターに向かって移送してくれと懇願します。
しかし、ヘリコプターは無情にも自分達の仲間だけ乗せて飛び立ってしまったのです。
そのヘリコプターを運行していたのがオランダ軍でした。
いくら重傷でも、猿のような日本人より仲間のほうが大切ですよね。
でも、この出来事はぼくの心に刺さって錆び付いてしまった鉄片のようにいつまでも残っているのです。
そりゃぁ~充分な機材も用意せず戦地に送り込んだ日本政府の責任です。
しかし、見殺しにしたオランダ人をぼくは許せません。
江戸時代のオランダと我が国の関係を思い出すにつれ、奴らの本性を見た気持ちがするのです。
オランダ政府は、遅くはないからこの出来事を検証し、公式に謝罪してもらいたいです。(~_~メ)