・・・・・・・っということで、BSのDlifeを観ていると、最近、こういうCMが流れています。
はっきり言って、抵抗あります。
『こういった子供たちを一日150円で助けることが出来ます。
チャイルド・スポンサーになってください。』
・・・と、たたみかけてきます。
アナタはどう感じますか?
カンボジア版やバングラディッシュ版などがあるようです。
こんな善意に満ち溢れた訴えかけなのに、何で抵抗があるのか?
自問自答します。
そりゃぁ助けたいですよ。
たった150円で子供一人を救えることが出来るのであれば。
多分、誰だってそう感じるはずです。
でも、このCMを打っているワールド・ビジョンってどういう団体だろうかという疑問が浮かびます。
どういう形でこれらの悲惨な子供たちにぼくらの善意が届くのか。
その仕組みが分かりません。
分からなかったら問い合わせろよ。
自分で調べてみろよ。
・・・と、彼らは言いたいでしょう。
どんな形であれ、善意の行動を起こすことこそ大事だと言うでしょう。
しかし、こういう子供たちの悲惨な状況を救う義務があるのは、一義的にはカンボジア政府やバングラディッシュ政府ではないでしょうか。
もし、貧困を克服するだけの予算が当事国にないなら、こういう民間レベルの援助が先にあるのではなく、国家間のODAが先ではないのでしょうか。
ODAはぼくらの税金が使われています。
そういう税金の使い方に反対する国民は少ないはずです。
ワールド・ビジョンはこういうCMによって直接個人に訴える前に、政府に働きかけたのか?
それが上手くいかなかったから、こういう形で訴えざるを得なかったのか?
説明責任を負っているはずです。
それが十分に行われていないなら、当事国に失礼に当たるのではないか。
ぼくが感じる抵抗感の正体はそんなところにあるんじゃないでしょうか。