雲に隠れて見えません。
あれほど雪が降ったのに、殆ど溶けてしまいました。
さて、こういうことを書くと神への冒涜だと信心深い人たちに怒られてしまうかも知れませんが、正直に書くのが基本方針ですから、まあ、聞いてください。
「結局のところ神は人間である。」
どうです?
歴史を観ていると、あのときああだったらと、「もし」だらけです。
そこには人間の英知を超えた何かの力が働いているように見えます。
それは神のみ業なのでしょうか?
例は不適切かも知れませんが、株式も同じに見えます。
投資家たちは株価の動きを読もうと必死です。
ところが、なかなか上手く行きません。
そこには神の見えざる手が働いているようです。
ギャンブルだって、ぼくらの運命だって、人間ではどうにもならない領域があります。
果たしてそれは、神様がコントロールしているのでしょうか?
ぼくは、違うと思います。
なんと言おうと、神様は人間が発明したものです。
人間が生まれる前に神が存在したはずがないからです。
結局のところ、人間の意思のとおり歴史は動いているのです。
人間の意思のとおり、株価は変動しているのです。
これは個々の人間の意思ではどうにもなりません。
大げさに言えば、人類全体の意思が作用しているのです。
「バタフライエフェクト」という言葉を知っているでしょ?
地球の反対側のちょっとした作用が、こちらまで伝わってくるというものです。
蝶々が起こした小さな風がどういう影響を及ぼすが、本人には分かりません。
歴史の動きも、株価の動きも、人間の心に中に生じたホンの僅かな意思の総合によって動いているんじゃないでしょうか。
結局のところ神の正体は人間なのです。
・・・・・・
もし、神様がいるとすれば、人間の最後のよりどころは「良心」であるように作ったということです。
歴史の流れの中で、人間は多くの罪を繰り返してきました。
その罪が何かをいちいちあげる必要もないでしょうが、結局のところ「良心」が作用していると信じたいのです。
多くの失敗を繰り返し、そこから教訓を得、人類が正しい方向に向かう選択をしてきたし、これからもそうであると信じたいのです。