イスラム教を理解する試み(その18) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、一神教と多神教について考えてみます。

好むと好まざるとに係わらず、宗教は政治と強く結びついていることは既に何度も書きました。

政治にせよ、経営にせよ、難しい判断に迫られることがしばしばあります。

以前ぼくが知り合った社長の一人に、占いに凝っている人がいました。

重要な経営判断に際して、その判断が良いか悪いか必ず占ってもらうのです。

自信満々の社長でしたが、それを聞いてダイジョーブかいな?とそのときは思ったものです。

先日ナンシー・レーガンが亡くなりましたが、彼女は占星術に凝っていて、それが夫であるレーガン元大統領の政治判断に影響を与えたらしいことは有名ですね。

・・・・・・

古くから戦をする前に、自分たちが崇めている神に自分たちの勝利を願って、祈りをささげるのはごく自然の行為です。

ベストは尽くすけれど、人間の力では及ばない運という領域は、やはり神様に頼るしかないのです。

戦う相手も同じです。

それぞれが頂く神のどちらが強いか、あるいは正義なのか、人間と人間の戦いは同時に神と神との戦いだったのです。

そして戦う。

そしてどちらかが勝ち、どちらかが負ける。

すると、勝ったほうは自分たちの神様が正義で、負けたほうの神様はインチキであるとなる。

敗者は、ナンだ俺たちの神様は自分たちを勝たせてくれなかった。

相手の神様を信じることにするか・・・となるのです。

あるいは相手から強制的に信じさせられるのです。

・・・・・・

以上は、多神教の世界の話です。

ところが、一神教となるとかなり様子が異なってきます。

だって、自分たちの信じる神は唯一で最高の存在なのですから、神を否定することなんか出来ないのです。

負けたからといって、簡単に相手の信じる神様に鞍替えなんか出来ないのです。

するとどうなるのか?

神様は常に正しい。

自分たちが負けたのは、神が負けるように望んだからだ。

負けたのは、自分たちのどこかに悪いところがあって、神はそれを是正させようとして、試練を与えたのだ・・・と考えるのです。

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これって、宗教上のスゴイ飛躍だと思いませんか。

ギリシャ・ローマ神話の神様連中は、常に失敗をしでかします。

道徳上、問題のあることだってします。

ところが、一神教の神様は常に正しく、絶対に間違いを犯さないのです。

過ちを犯すのは一方的に人間のほうなのです。

ですから、戦いでコテンパンに負けても、飢えに苦しんでも、敵に奴隷にされても、虐殺されても、それは人知の及ばない神が与えたもうた試練と考えて耐え忍ばなければならないのです。

ひとたび一神教の信者になったら、改宗したり棄教する率が極端に減るのです。

これほど強力な宗教をセム族は発明したのです。

というより、これほど強力な宗教を必要としたと言ったほうが正しいでしょう。

その理由は・・・・?

勉強不足なので、それには踏み込めません。

ただ、日本の風土からはそんな宗教は発生しなかったであろうことは容易に想像できますね。