イスラム教を理解する試み(その15) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・っということで、今回は歴史から外れて、政教分離の原則について考えてみます。

何で政治と宗教を分離しなければならないか?

それは憲法に保障されている信仰の自由を阻害しないためでしょう。

原則として国民はどんな宗教でも自由に選択できることを保障されています。

これは数多くの過ちを犯した経験から勝ち取った権利です。

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そもそも宗教と政治は一致しない。

政治は論理的でなければならない。

宗教は論理的とは正反対の原理で動きます。

例えば、神様のお告げだから戦争するぞなんて言われたらたまんないっすよね。

まあ、昔はそういう口実で戦争が起きたほうが多いのでしょうが。

そういう苦い経験を基にして政教分離の原則が確立されたといえるでしょう。

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と言った宗教家であるイエスは、優れた政治感覚も持ち合わせていたということでしょう。


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・・・っと。ここまでが教科書的な考え方でしょう?

しかし現実には、日本においても宗教色の強い某政党が、政権の一部を担っていますよね。

その政党がもし、実権を握るようなことがあれば、某大作先生が総理大臣を差し置いて自分たちの宗教に都合の良いように法律を変えてしまうことも起きるのです。

そういった危険性を抱えているのが、政教一致を目指してきた一連のイスラム国家でしょう。

そもそもコーランは法律色のとても強い宗教ですから、そのまま使えるはずと考えるのは無理もないことです。

イスラム国家(あるいは帝国)と呼ばれている国家を良く見てみると、初期のカリフ時代を除いて、厳密には政教一致で成功していません。

やはり国家の運営と宗教は区別せざるを得ないのです。

ウマイヤ朝やアッバース朝から始まってオスマントルコに至るまで、試行錯誤の連続でした。

コーラン以外に、ハディース(ムハンマドの言行集)、イジュマー(イスラム法学者間の同意)の三つをもって基本法として法治国家を目指そうとしました。

最後のオスマントルコもイスラム法に基づいて国家を治めようとしたけれど、結局は手放さざるを得ませんでした。

いま問題になっているシリアを始め、リビア、エジプト、チュニジア、イラクはイスラム法をベースとして社会主義国を目指しましたが、ことごとく失敗してしまいました。

結局は政教一致は無理なのでしょうか?

いやいや、イランとサウジがあるじゃないかと言われる方もいるでしょう。

しかしながら両国とも、いまだ試行錯誤の真っ只中で、上手く行っていると言えるでしょうか。

両国の本質は異なるといえ、結局は政府と聖職者の対立構造が浮き出てくる運命にあるのではないでしょうか。

これは、かつての皇帝と法王の対立としてキリスト教国が辿ってきた道です。

そしてキリスト教は政教分離という原則にたどり着いたのです。

結局、イエスの言ったことが正しかったのです。

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いまISは厳密な意味でのイスラム教による政教一致を再度目指しているといえるでしょう。

しかし、何度同じ理想を目指し、そして何度同じ失敗を繰り返してきたのでしょう。

こればかりは、イスラム教徒自身が解決しなければならない問題です。

もう一度、イスラムの辿ってきた歴史を丹念に分析し、イスラム教における政教分離あるいは政教一致の理想像を本気で考えなければならないのではないでしょうか。