・・・・・・っということで、いま一番旅行したい場所はと聞かれれば、躊躇なくイェルサレムと答えます。
^m^
以前はヴェネツィアと答えたのですが、もう行きましたからね。
もちろん塩野七生氏の【十字軍物語】を読んだ影響ですから、自分でも単純だと呆れてしまいます。(^^ゞ
さて、先に書いたようにサラディンが「NothingでありEverything」と言ったイェルサレム。
まさしくNothing、イェルサレムは軍事的にも、経済的にも重要な街ではありません。
その存在価値は宗教的なもの、そのただ一点に尽きます。
イェルサレムは紀元前1000年にヘブライ王国の都として築かれ、その後ダビデ王⇒ソロモン王となりユダ王国として絶頂期を迎えました。⇒以下省略。
いまはユダヤ国家であるイスラエルの領土に属しています。
ご存知の通り、イェルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地です。
キリスト教の聖地である理由は皆さんご存知の通り、キリストがここを中心に布教活動をして、最後は十字架にかかったからです。
イスラム教の聖地である理由は、ムハンマドがこの地の岩のドームからワープしたとの伝説のためです。
ユダヤ教は元々神殿が建っていたので(嘆きの壁)、本来の聖地であると一番主張できるはずですが、キリストとムハンマドを一級の預言者として承認しているので、強く文句を言えないようです。
このように三つ巴の聖地なのですが、これほどコジれるのはそれぞれが一神教を奉じているからでしょう。
これが多神教だとしたら、もっとイェルサレムには別の姿があったはずです。
これが領土の問題(経済、資源、軍事)だったらこれほど複雑にはならなかったでしょう。
戦って勝ったほうが、あるいは法律で争って勝ったほうが所有すればいいのです。
いわば常識で片付く範囲の問題なのです。
ところが、宗教になると妥協できなくなるのです。
何故なら、自分の神様が一番偉いワケで、異教徒の神に負ける訳にはいかなくなるのです。
・・・っで、この複雑に見える問題の解決方法は実は簡単なのです。
そして、解決方法をみんな知っているのです。
大きな犠牲を払った十字軍でその解決方法は900年も前に学習済みなのです。
その解決方法とは、サラディンが提示したものであり、リチャードが受けたものです。
すなわち、どちらがイェルサレムを占領していようと、巡礼は自由であるとすることです。
これはお互いの宗教を尊重するという単純なことです。
この点においては、イスラム教のほうがずっと寛大で懐が広かったといえるでしょう。
意固地だったのはキリスト教徒側だったのです。
聖地だというだけで実際はNothingの土地に固執して命を奪い合うのは馬鹿げているのです。
ところが、十字軍のあと現在に至るまで彼らが歴史に学んだ形跡はありません。
そして歴史は巡って、いまユダヤ教の支配になっています。
その支配を恒久的なものにするために、イスラエルは着々と入植政策を進めているところなのです。
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そんな複雑で、且つ愚かな歴史を肌で感じるために、是非イェルサレムを訪問してみたいものです。