・・・・・・っということで、宗教と科学はお互い相容れないことになっている。
説明の余地ないだろう。
そこでぼくの浅い知恵だけで、可能な限り宗教を科学的に解明してみようというのが今回のテーマである。
そもそも宗教はどういう経過を辿って発生し形成されるのかを考える。
先ず人間は自分ではどうにもならないことに直面すると、その背後に得体の知れないものの力を感じる。
どうにもならない現状から逃れるために、その力に頼ろうとする。
あるいは、その得体の知れないものの機嫌を損ねないようにする。
さらに、その力の保有者に好かれてもらい自分だけは幸運になりたいと願う。
そういう願いを聞き届けてもらうための手段として「祈り」という行為が必ず伴う。
どんな原始的な宗教にも必ず祈りは付随する。
これは人間に備わった本能だといってイイだろう。
すると祈る対象が具体的である必要性が生じる。
その具体化したものが「神」である。
宗教には祈りと神が不可欠のセットであり、これがないものは宗教と呼べない。
だけれどもこの二点だけではまだ宗教と呼ぶには足りない。
体系的でなければならないのである。
体系的であるという意味は神を具体的に説明できるストーリー(物語)の存在である。
宗教として長期の命脈を保つためには「祈り、神、物語」がセットになっていなければならない。
ここから先の宗教の分類はパフォーマンスのバリエーションだけである。
祈りは祈祷にもなり、儀式にもなる。
元より神は人間の力が及ばない対象であるから、奇跡を起こしたり、人間に罰を与えたり物凄いパワーを持っていなければならない。
要するに神とはご機嫌を損ねると怖い対象なのだ。
一神教と多神教を分けて考える必要はあるのだろうか。
多神教を見てみると、必ず多くの神々のトップになる神(最高神)が存在する。
ゼウス、オーディン、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)のように、一神教はそれほどユニークなコンセプトではないのである。
ここでいいたかったことは、神にもいろいろな神が存在し、その存在を補強する物語も様々、祈りの儀式も様々なバリエーションがあるものの、宗教の本質を構成する要素は同じだということである。
・・・・・・
今回いちばん書きたいことは、人知を超えるパワーを持った何か(神)が人間に与える脅威の種類によって、宗教の性質が大きく異なるという点である。
長くなりそうなので、以下つづく・・・。