・・・・・・っということで、人間は信仰なしには生きられないのか?
信仰の果たす役割とはなんだろう。
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世の中は不条理なことで溢れている。
人間の力では及ばないことばかり。
それでもそんな世の中を生きていかなければならない宿命を背負っている。
いくら自分にとって不条理な環境だろうとも飲み込まなければならない。
それが続くと心がマイナスで満たされてしまう。
そんな心を、せめてプラスマイナスゼロに戻そうとする。
それは自然な心の働きではないだろうか。
信仰の果たす役割とは心の浄化作用ではないだろうか。
結局のところ、心の問題なのだ。
信仰とは合理的には説明できない。
世の中を支配する摂理を人間以上のパワーを持った神に求めるのは自然な流れであろう。
信仰心は、底辺に生きる人から生まれる。
不条理な環境下で生きているからだ。
厳しい自然環境、生まれながらにして虐げられた階層、貧困、
これら個人の力ではどうにもならない不条理の中で生きる人に、信仰は必要不可欠なものなのだ。
だから信仰は支配階級や富裕層からは生まれない。
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NHKの帝政ロシア下の農奴たちを描いた番組を見て、そんな感慨を覚えた。
どんな貧しい村ににも先ず粗末な礼拝堂が建てられる。
理屈ではないのだ。
彼らにとってそれがなければ生きていけないのだ。
振り返って我ら日本人、殆どの人が自分たちを「無宗教」だと感じている。
だが、日本は自然災害の宝庫じゃないか。
不条理な歴史の連続だといえよう。
それでも、自分たちは無宗教だという。
不思議ではないか。
ここでふと気付く。
だからといって、日本人は信仰心がないとか、薄いとは判断できないだろう。
キリストとか、アッラーとか、ヤハウェのような具体的な、そして強烈な印象を与える神が日本人の性に合わないだけだと考えたらどうだろう。
より穏やかな神、仏教のお釈迦様が一番受け入れやすいのかな?
それでも、日本人の感性にぴったり合うとはいえないのではないだろうか。
もっともっと穏やかな、人間を含めた自然の調和を司る何か。
不条理も喜びも全てを過不足なく与える人知を超越した何か。
日本人はそんな何かの存在を信じている。
「お天道(てんとう)様」が一番近い説明になるのかな。
それ故、日本人は無宗教だからといって信仰心がないとはいえないのである。
それどころか、とても優れた信仰心を持っているといえないだろうか。
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こう考えていけば、世界を騒がしている「神の名による戦い」が、如何に日本人に理解しにくいかが分かるのである。