いざ鎌倉(10.由比ガ浜編) | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、いよいよ最後の訪問場所【由比ガ浜】。

この日はずっと天気が良く、おまけに風も弱いときて絶好のお散歩日和であった。

正面の水平線上に薄っすらと大島の島影が見えた。

さて、こちらは稲村ガ崎方面である。↓

鎌倉を攻め落とそうと囲んだ新田義貞軍は、各所の切通しで鎌倉軍の頑強な抵抗に遇って、侵入することが出来ずにいた。



言い伝えによると、義貞は稲村ガ崎の先端に立って、神に祈ったそうだ。

その願いが通じて潮が引き、現れた砂浜を通って、一気に鎌倉の街に殺到したことになっている。

群馬県出身の新田義貞が潮の満ち干を知らなかった可能性もないではないが、まあ、物語としては面白いだろう。

新田軍は7万の大軍だったそうだ。

この狭い地形に7万人が加わったことを考えれば、すさまじい光景が繰り広げられただろうことは容易に想像できる。

・・・・・・

このあと、ぼくの感想のまとめを書きますが、長々と書いた鎌倉の古戦場めぐりはこれにて終了することにします。

ちょっと、文体が硬かったかなぁ?

ですます調にすればよかったと途中何度も思いましたが、書き直すのが面倒なので硬い文体で統一しました。

まだ何箇所か訪問してみたい古戦場がありましたが、体力が続かないので長谷駅から鎌倉駅まで江ノ電に乗ることにしました。



11時に着いて、2時半には横須賀線に乗りましたので、色々と巡ったわりには時間がかかりませんでした。

鎌倉はとても魅力的なところなので、また次のテーマを持って再訪したいと思っています。

・・・・・・

そうそう、書き忘れていたことがあるのでもう少し辛抱を。^m^

ぼくは由比ガ浜が好きである。

今は海岸ギリギリまで道路が出来て、ひっきりなしにクルマが通行するけれど、心の中で昔にタイムスリップするのです。

道に沿って建っている建物もなし、電柱も電線もなし、砂浜に散らばるゴミもなし、もちろん洋服を着ている人間もなし、それら現代を連想するものを全て心の中で消し去るのです。

すると、800年前の由比ガ浜の風景が見えてくるのです。

時間も少し進めて、夕暮れ時にしましょう。

静かです。

緩やかな波音が聞こえてきます。

当時も鳶は上空で円を描いていたことでしょう。

時々ピュルルル~という声が聞こえます。

海岸からちょっと奥まったところに民家がまばらに立っていて、太陽が沈んだ夕焼けに照らされオレンジ色のシルエットとして見えます。

ところどころ煙が上がっているのは、夕飯の支度をしているに違いありません。

海岸を走り回っている子供を呼ぶ母親の声が聞こえます。

海岸にはそぞろ歩きしている大人たちも見えます。

夫婦でしょうか、恋人でしょうか、流木に腰掛けて海を見つめている男女が居ます。

海岸には数隻の小さな船が引き上げられていて、漁師が漁具を修繕しています。

平服を着た武士が馬を波打ち際を歩かせています。

鎌倉に住む人たちにとって、この由比ガ浜は息抜きの場所であったに違いありません。

平民も、武士も、公家も、一日の終わりには海岸を散歩したはずです。

ここから、550m離れたところに住む和田家の人たちも、間違いなく夕暮れ時に海岸を散歩したことでしょう。

歴史を辿っていると、何とかの乱とか、何とかの合戦などばかりでささくれ立った時代を連想しがちですが、鎌倉150年のほとんどは平和な、そして静かな生活が営まれていたはずなのです。

この由比ガ浜に来ると、いつもそんな連想 をしてしまいます。