・・・・・・っということで、教育はいつの時代にも、どこの国でも常に重要な問題であり続けています。
ところが、日本では上手く行っていないという声が多数を占めています。
学級崩壊とか、イジメによる自殺とか、モンスターペアレントとか、ぼくらが学生の頃は聞かなかった言葉が並んでいます。
なぜ日本では上手くいかないのか?
それは、日本が「無宗教国家」であることが原因だと前回書きました。
日本の教育について、ぼくは語る資格も知識もありませんが、ぼくが理解している限りの中からちょっと書いてみたいと思います。
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江戸時代の教育形態は寺子屋でした。
それは商業の重要性が高まるにつれて、「読み書きそろばん」が必要となってきたからでしょう?
それ以前は、そんなことが出来なくても一切不自由なく生きていられたのです。
寺子屋でそれ以外に何を教えていたのか?
実務的な教科以外に、古典、歴史などを教えていたのでしょう。
中でも「四書五経」が道徳教育の役割を担っていたはずです。
言うまでもなく、四書五経は儒教の教えです。
・・・っということは、その頃の日本は道徳は宗教の代わりに儒教がベースになっていたことになります。
江戸時代はだいたい300年間続きましたから(正確には265年間が主流学説だそうです)、日本人の道徳的規範を形成するのに十分な時間だったはずです。
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ところが明治時代になって、西洋文化が奔流のように一気に日本に押し寄せてきた。
いまの時代の人間はピンと来ないかも知れませんが、日本人の心にとてつもないインパクトを与えたはずです。
いままでの価値観が一気に変わったのですから。
事実、西洋かぶれする日本人が続出して、風紀的にもだいぶ乱れたそうです。
そこで、明治政府は早い段階から教育方針を決定する必要に迫られたのです。
そこで出来たのが、「教育勅語」です。
本当は日本の政府がこれをこしらえたのに、天皇の勅令としたのです。
さすがに、当時の政府は教育問題についてのデリケートさは認識しており、一般の生徒までは知らせない、教育機関への通達のような形を当初は目指していたようです。
実際に読んだ人は少ないと思いますので、ここにウィキペディアからコピペしておきます。
1.父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
2.兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
3.夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
4.朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
5.恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
6.博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
7.學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
8.以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
9.德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
10.進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
11.常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう)
12.一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機があったなら自発的に国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)
じつにアタリマエで、今読んでも素晴らしいと思うのはぼくだけではないでしょう?
昔は、生徒にこれをすべて毎日暗誦させたと聞いています。
儒教色が強いですよね。
ただし、一項目12.だけは問題なのです。
これを、軍部は「お国のために自らの命を捧げよ」と曲解したのです。
教育とは恐ろしいものでもあるのです。
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さて日本人の次の転機になったのが、敗戦です。
また、いままでの価値観が一気に変わったのです。
いままでの教育は一切否定されたのです。
ぼくが見るところ、この教育の混乱は戦後70年になろうとする現代も続いています。
いままでの日本教育のベースであった儒教まで否定されてしまったからです。
前回書いたように日本は無宗教国家です。
道徳のベースを宗教に求めるわけにはいかないのです。
「駄目なものはダメ」と言える根拠を失ったまま、日本の教育は漂流し続けているのです。
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だからといってぼくは悲観はしていません。
日本の教育を世界に誇れるものに変えるチャンスが今あるのですから。
教育問題について真剣に向き合い、ベストな選択をするだけの英知を日本人は持っていると信じたいのです。
何故なら、今回書いてきたように、日本人はこれだけの大変革を歴史上何度も繰り返しているからです。
歴史から学ぶというのはこのことじゃないでしょうか。