・・・・・・っということで、学級崩壊という言葉を聞いたのはいつのことだろう?
TVを観ていたら、いまだに十分な対策が出来ていないのだそうだ。
授業を無視して自分勝手な行動をして、先生の言いつけを守らない生徒がいる。
昔なら、廊下に立たせたり、ぼくの小学校時代の先生のように拳骨かシゴキ棒という節くれだった竹の棒で頭をガツンと殴っていれば済んだ問題である。
ところがいまの先生にとって、それは禁じ手である。
理屈で説得するしかない。
これでも効果なければ両親を学校に呼び出すしかない。
ところが、その両親がモンスターペアレントときているのである。
教員免許を持っていても、学校の教員になりたくないという気持ちはよく分かる。
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何も小学校に限ったことではない。
中学、高校ではイジメ。
大学にいたっては、授業中にスマフォをいじっていたり、私語を止めない。
注意したら、逆に先生に食って掛かるという始末。
何でメールをしていたらいけないのか、授業に迷惑を掛けていないじゃないかと。
学校は勉強するための場所だと言うと、なんで勉強しなきゃいけないのかと屁理屈をぬかす。
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世の中は理屈じゃないんだということが分かっていない。
理屈抜きに「駄目なものはダメ」だということがなければ、人間の社会が成り立たないのだ。
観ていなかったけれど、「ならぬものはならぬのです」である。
ところが、その駄目なはダメだと説明する理屈がなかなか難しい。
酷い例では、「人を殺してなんでダメなんですか?」なんて平気で質問する人間が出てくる。
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日本は教育するのが実に難しい国なのである。
どうしてか?
それは「無宗教」だからです。
どの宗教でも殺人はダメ、殺生もダメ、騙すこともダメ・・・となっている。
何故ダメなのか?
それは、「神様がダメと仰っているからです」で、議論はチョンとなるのである。
じゃあ、キリスト教の国家は皆道徳的な国民かというとそうではないことはご承知のとおり。
でも、教育の現場で、「何故ダメなのか」という問いに教師は煩わされることはないのです。
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さて、このお話はとても面白いのですが、いつも長くなるので、一応ここで止めておきます。