・・・・・・・ということで、太宰の本を読んでいたら、「小説を芸術だと思ったらイカンよ」というようなくだりがあった。
そのとおりだと納得した。
自分は芸術をやっちょると意識した時点で文章はダメになる。
たとえば風景描写をするとき、まるで~のようだと芸術ぶった表現をしたくなるものだが、そういう風に見えたなら仕方ないけれど、そうでなければ見えたままを書くべきであると。
そして、本の中に作者の苦悩が見えないのはダメだという。
全くそのとおりだと思う。
何かを書きたいというエネルギーは、ベースに苦悩がなくてはならない。
自分で悩んで悩みぬくほど、そのエネルギーは高まるはずである。
その苦悩から開放されたいがために、作家は書くのでなければならない。
読者にはその作家が書かざるを得なくなるまで追い込まれたか否か、読めば分かるものだ。
文章を適当に垂れ流すのは排泄行為と同じである。
真剣な苦悩が感じられなければ、何も感動を受けない。
とことんまで突き詰め、悩みに悩んだ結果生まれてくる作品は、自ずと芸術と評価されるだろう。
・・・・・・・
以前もここで書いたのであるが、ブログは一種の排泄行為と同じという分析である。
よくブログをストレス発散の場としているブロガーがいる。
文章を書くことの持つ効果を現す意味で、そういう使い方は大いにアリだと思う。
良いブログ悪いブログというのは基本的にはないはずである。
だけれども面白いブログとか、気になるブログとか、更新が楽しみなブログは確実に存在する。
ぼくにとって面白いブログは、日々の生活の中でそのブロガーの悩みが見えるブログである。
悩みというと病気とかを連想されるかもしれないが、そういう具体的な悩みじゃなくて、生き方についての悩みとか、世の中の不条理に対する疑問とかを指している。
人が見過ごすような些細な問題をその人なりに真剣に考えているのが伝わるようなブログは面白い。
仕事での悩みでも良い、人間関係での悩みでも良い、単にその悩みを書くのではなく、自分なりにどう解決しようとしているかその姿勢が見えるものがイイ。
それとは逆に、日々の出来事を単に羅列するブログは面白くない。
これって、難しいようで難しくはない。
だって、人間がこの世の中で生きていく上で、悩みが伴わないなんてあり得ないでしょ?
まあ、ぼくの書くブログなんて、毎日の排泄行為と同じです。
書かなければ、何かスッキリしないからという理由だけですから。
σ(^_^;)