民族と文化について | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、とても難しい話し。

国民って何だろう?

日本の場合、その定義は至極簡単ですね。

島国に住んでいるぼくらにとって、、日本人とは何かを説明する必要さえあまり感じないですね。

ところが周辺国と陸続きの国にとって、それは無茶苦茶重要な定義なんですね。

ちょいと歴史を遡れば、征服したりされたりで、しょっちゅう国境が変わってきたんですね。

トルコだって昔はもっともっと大きな国土を持っていた。

結局「民族」単位で国を作るのが一番収まりがいい。

ところが土地には色が付いていないから、川とか、山とか、島とか、緯度経度とかでその境界線を決めることになる。

この話しをしだすとややこしくなるので、今回は民族の話しに絞って考えようと思います。

・・・っで、民族って何だ?ということになる。

簡単に言えば、血のつながりでしょうね。

トルコ人にはトルコ人らしい風貌がある。

でも、長い歴史の中で純血を維持しつづけるのは不可能です。

日本人だって、混じりっけなしの純血種なんかいませんね。

大陸では、もっと維持して行くのが難しい。

すると、民族ってぇのは血だけでは語れなくなる。

すると、宗教か?ってぇことになる。

じゃあ、同じ宗教を信仰する者同士が集まれば、仲良く結束した国家が作れるか?

それが無理なことは色んなところで実証されていますね。

バルカン半島では同じ民族なのに、ちょっと違った宗教ということだけで血で血を洗う殺し合を続けてきました。

一方、ユダヤ人のように国土を失ってもアイデンティティを保ち続けられたのは、やはり宗教の力ってぇことになる。

こうなってくると、民族って血だけでもないし、宗教だけでもなさそうですね。

ぼくは民族を規定するものはやはり「文化」だと思うんです。

トルコではトルコ語をしゃべっている。

それがトルコ人なんですね。

ブルガリアへ行けばブルガリア語を話している。

ケルト人の国家は無いけれど、ケルト語はまだしぶとく残っている。

ケルト民族である証明はその言葉で判断できるのです。

文化は言葉だけじゃありません。

文字だって、衣類だって、音楽だって、お祭りだって、そして料理だって文化なのです。

例えば日本人が結婚してその国の国民になる。

血液は換えられないとして、無理に宗教を変える必要は無い。

でもその国の人間になったからには、言葉と文字は絶対に覚えなきゃならない。

服装だって、食べ物だって変えないとその国の人間とは認められない。

文化というものはそれほど重要なものなのです。

民族と文化はワンセット。

切っても切れない関係にあるのです。

極端な話し、その国の国民であるためには、血なんか、宗教なんかどーでもいいのです。

歴史上、何度も起きたことだけれど、その民族を抹殺しようと考える人が出てくる。

民族浄化とか称して皆殺しをしようとする。

でも、大体成功しない。

文化はなかなか死なない。

わずかに生き残った人の中に、言葉や、歌、風習、食べ物の文化はしぶとく生き残るものなのです。

・・・・・・

こう考えて来ると、文化がいかに大事なものか分かってくるでしょ?

日本人が日本人であるためのアイデンティティは、日本の文化にあるのです。

最近日本では、自分達の文化を軽んじる風潮があって、とても残念に思うんです。

和服、民謡、文学、日本食、日本語、民話、風習、職人技・・・どんどん変化、または衰退しています。

それらを軽んじることは、自殺行為なのです。

もし、日本が占領されて世界を放浪する難民になったとき、どうやって日本人たるアイデンティティを守って行くことができるというのでしょうか。

国家の再興を誓い、世界の各地で雄伏するとき、守るべきは日本の文化なのです。

こういう話しをしても、日本人にはピンとこないでしょう。

でも、世界では常識なのです。

だから、一生懸命に自分達の文化を守ろうとするんです。

・・・・・・

海外を旅行して、その国の料理を食べます。

トルコではケバブがポピュラーです。

何種類ものケバブがあって、それらはトルコ独特のものです。

大袈裟な話し、この食文化を守るかぎり、トルコ人でいられるのです。