成熟した国家について | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、韓国内では今回の沈没事故を受けて、自国はまだ三流国だとの認識が国民の間に広まっているとのこと。

二流三流という基準そのものが曖昧だし、差別感情が入っているので好ましい表現ではないと思う。

それより今回は「成熟した国」について考えてみよう。

お隣の国々が成熟した国であるかと問われれば、肯定する人は少数派ではないだろうか。

彼らはあらゆる点で未成熟である。

では、国が成熟しているかしていないかはどこで分かれるのだろう?

それは、多くの面で他に依存しているということを自覚しているか否かで分かれるのじゃないだろうか。

人間の歴史は戦いの歴史であった。

自国が生き残るには、武装するしかなかった。

ガッチリと守りを固めるか、相手を征服するか、服従するかの選択だった。

だが、多くの血を流した結果、お互いの存在を認め合うことが平和に繋がることを学んできた。

産業の発展、経済の発展によって、お互いが依存しあうようになってきた。

ITの発達によって、情報が国境を自由に行き来するようになると、ますます自国内だけで完結することはあり得ない世界になった。

相互依存が深まれば深まるほど、戦争はやりにくい状況になってきた。

外交や話し合いで解決した方が得というより、それ以外に選択肢がなくなってきたのだ。

それが成熟した社会であり、国家なのである。

そんな社会の中で、武力を背景に脅しをかけたり、70年も前の出来事を理由に話し合いの場にさえ出てこない国家が成熟した国家だといえるだろうか。

・・・・・・

以上、成熟した国家とは他に依存していることを認識している国家だと主張してきた。

では、日本はどうなのだろう。

成熟した国家なのだろうか?

日本ほど相互依存に頼っている国家はないだろう。

貿易が経済の柱であることは、イヤというほど認識している。

武力による解決ほど不毛なものはないことを、多大な犠牲を払って学んだ。

日本ほど世界平和を必要とする国はないだろう。

その点では、成熟した国家だと言って良いはずだ。

だが、手放しでそうはいえないことはぼくら日本人は自覚している。

では、成熟した国家として必要な、別の要素は何なんだろう?