言葉の重み | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・っということで、こうやってブログで駄文を垂れ流しているけれど、気を付けなきゃならないことがある。

それは、本当に自分の身についていない言葉を、偉そうに語ることだ。

例え同じ言葉だとしても、その言葉を吐く人間によって、重さが全く違うということを軽く考えてはいけない。

ぼくのように何の誇るべき実績もなく、ただ惰性で長く生きてきただけの人間の言葉なんて、説得力なんてこれっぽっちもないと知るべきだ。

どうしてなのだろう?

人生とまともに向き合い、努力を重ね、いくつもの危機を独力で乗り切ってきた人の言葉は重い。

言葉というものは、それを語る人物とワンセットなのだろうか。

ぼくのような未熟な人間のくせに、取って付けたような言葉を吐く。

そんな言葉は人の心に響くどころか、嘲笑の対象になっていることを本人が気付かないほど滑稽なものはない。

滑稽だけならまだしも、有害でさえある。

ブログという場はぼくを含め、そういう勘違い人間の文章で溢れているともいえよう。

ならば、そういう言葉が自分の身となり血液となっている人は、こういうブログの世界には登場しないのかも知れない。

・・・・・・

だからブログなんか書くなと言うつもりはない。

逆に、十分こなれていないまま発言することはブログではあってもいいと思う。

自分の検証なしに発言する言葉の中に真実が含まれていることは大いにある。

そして、その言葉を足がかりに読者を含め、何かを考えるきっかけになるかも知れない。

もし、ブログが独白の場だとすれば、独白に対して善し悪しの判断を付けるべきではないのは当然だからだ。

とはいえ、他人を啓発しようなんて考えでブログを書くことはご法度だ。

問題なのは、それを自覚しているかいないかだ。

・・・以上、自戒の意味をこめて。(;^ω^A