民族の違いについて | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
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そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A


・・・・・・っということで、ヨーロッパ旅行の魅力はすぐ別の国に行けることです。

国境をまたいだ途端、言葉が変わる、制度が変わる、通貨が変わる。

日本人であるぼくからすれば、民族の違いなんてまったく分からない。

チェコ人だろうが、ポーランド人だろうが、ハンガリー人だろうが、外見からは区別がつかない。

彼らにしても区別するのは難しいはずなのですが。

日本人が中国人だか韓国人だか分からないのと同じじゃないでしょうか。

一番分かるのは言葉の変化です。

黙っていれば分からない。

・・・っと思っていたら、外国の町を歩いていると日本語で話しかけられることがしばしば起きます。

最近は中国の団体のほうが多い。

韓国人だって増えてきているはず。

なのに、なんで日本人と分かるのでしょう?

この直前に書いたように、日本人が中国人韓国人を見分けることは難しい。

ちょっと前なら、中国人はダサい格好をしていたので大体分かったけれど、最近は垢抜けてきて、特に女性は化粧が上手くなってきたので、ホントーに区別がつかなくなってしまった。

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これは単なる仮定ですが、ひょっとして西洋人は民族の違いを見分ける力があるのじゃないでしょうか。

民族の違いを判断することは、場合によっては生きるか死ぬかの問題になってくることも、彼らの歴史が示すとおりです。

島国の日本人にはそういった判断を迫られることは殆どなかった。

そのうち、本来持っていた臭覚を失っていった。

あくまで仮定ですが、こんな視点もなかなか面白いでしょ?

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でも、民族を明確に判断するなんて、DNA鑑定でもしない限り不可能だと思います。

特にヨーロッパにおいて、長年の間に混血が進んでいるからです。

日本人が特異であるだけなのです。

すると、民族の違いを分けること自体意味がなくなってくるのじゃないでしょうか。

もちろん、その違いによって戦争をしたり差別することも。

あのナチスだって、ユダヤ人を見分けるために服にダヴィデの星を付けさせたじゃないですか。

あれさえ取ってしまえば、基本的に分からないはずなのです。

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ヨーロッパはいろいろな人種の混合です。

それでも頑なに、民族意識を持ち続けようとするのは何故なのでしょうか?

それは、そのほうが安全だからなのです。

これだけ国境が変化し、時には国さえもなくなる地域で、団結することが一番安全なのです。

団結するためには何かアイデンティティーが必要になってくるのです。

一番分かりやすいのが、血のつながりですね。

血が繋がっていれば、同胞のために死さえも覚悟することができるのです。

だって、祖先をずっと辿っていけば、親戚かもしれないからなのです。

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次に用いられるアイデンティティーの基準は宗教です。

宗教は多少民族が異なっていても、団結するにはとてもいいシステムなのです。

そういう意味が、特にキリスト教に強いのです。

結局、キリスト教はヨーロッパで最大の版図を獲得できたのです。

そういう団結するのに宗教は用いられてきたのですが、皮肉なことにその中の宗派で対立するという皮肉なことも起きたのです。

ボスニア紛争のときは、同じ民族なのに宗教の違いでお互いに殺しあいました。

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次にくるのが「イデオロギー」です。

尤も、ヨーロッパにおいては見事に失敗しましたがね。

それでも、アジアとか、中米にはまだイデオロギーにしがみ付いている国がありますね。

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結局いまのヨーロッパを見てみると、宗教よりも血のつながりが優先されてきているように見受けられます。

ロシアにしろ、バルカン半島諸国にしろ、チェコスとロヴァキアにしろ、一つにまとまるには、やはり最小の単位である民族別がイイとなったようです。

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では、一つの民族としてまとまる基準は何でしょうか?

血の繋がりが理想でしょうが、混血が進んでそんな基準は成り立たちません。

一番の基準は「言葉」じゃないでしょうか。

その国の言葉をしゃべる、すなわち同じ民族だという基準です。

だから、ヨーロッパの民族は皆自分たちの言葉をとても大事にしてきました。

逆に、民族自体を抹殺しようとする支配者側からすれば、彼らの言葉を禁止することが手っ取り早いのです。

そうして、何度もそういう手法が採られてきたけれど、結局は民族の言葉は生き続ける強い力があるのです。

尤も、消し去られた言葉も数多くあるのも事実です。

これまでヨーロッパの国を数多く回ってきました。

国境をまたぐ度に、言葉が変わり不便な思いをさせられます。

いっそのこと、言葉を統一すればどれほど便利かとも考えました。

でも、彼らは絶対に変えないでしょう。

今はいいかもしれませんが、将来いつ隣人同士で凄惨な殺し合いが始まるとも限りません。

そのためには団結する必要があるのです。

言葉の力によって。

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【蛇足】

これまで述べたこととは対照的に、EUは一つのヨーロッパを目指しています。

ぼくは、これはアメリカに対抗するための経済圏を形成するという意図が一番の理由だと思ってきました。

ところが、それだけじゃないようなのです。

特に、ドイツがこの動きを強引に牽引しているのは何か理由があると思うんです。

彼らは、ヨーロッパがまとまる重要性をものすごく感じているのです。

先ずは、経済から・・・っといったところでしょうか。

ですから、この動きは単に経済だけの側面から見てはいけないのじゃないでしょうか。

ドイツを巡って、この辺の答えのヒントを掴めればいいなと考えています。