・・・・・・っということで、キリスト教の果たした役割について考えています。
どの街に行っても、街の大きな広場にデンと教会が建っています。
その教会の大きさといったら驚くばかり。
当然街の人々ができるだけ多く入れるように大きくしていることには違いありません。
でも、必要以上に大きい。
どうも、街同士で競い合っていたようなのです。
それは大きさであったり、高さであったり、装飾の豪華さであったり。
俺たちの方があっちの教会よりでかいだろう?といわんばかり。
俺っちのほうがより敬虔なキリスト教徒なんだぞってね。
違いますよね、大きくて豪華なほうが信心深い証拠にはなりませんよね。
要するに虚栄の張り合いですね。
そうです、キリスト教は時の権力者の勢力の大きさを示す指針(バロメータ)に使われていたのです。
決して信心深い権力者だから立派な教会を作ったという訳じゃないのです。
ここに、キリスト教と政治の深いつながりを感じます。
もちろん、地方の権力者はヴァチカンの大司教のウケも狙っていたことでしょう。
・・・・・・
人々を結束させるには宗教が必要。
キリスト教徒というアイデンティーを持つことによって、異教徒=敵から身を守ることができる。
権力者にとって、より広域の住民の結束を強める手段としてキリスト教は都合が良い。
如何に自分がキリスト教の指導者として相応しいか、教会を見てもらえばわかる。
その自分の指導者としての資質を証明してもらうためには、中央の教会のウケが良くなければならない。
中央の教会は、教会に司祭を送り込むことによって、キリスト世界全体を支配する構造になる。
まあ、ざっとこんなもんでしょう。
えっ? そんなの常識だって?
そうでしょう。
でも、同じ常識でも、実際にきて始めて実感を伴うものなんです。