キリスト教が果たした役割(その3) | so what(だから何なんだ)

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・・・・・・っということで、キリスト教の果たした役割について考えています。

ぼくら異教徒にはどうしても分からない。

あのキリストが桀になっている十字架です。

半裸のキリストがクイによって手足を打ち付けられ、息絶え絶えになっている。

あるいはもう死んでいるのかも?

まったく残酷な像ですよね。

言い方は適切ではないけれど、エゲツない。

十字架だけならいいですよ。

でも、とてもリアルな生身の人間がこれ見よがしに再現されている。

こんな血なまぐさい象徴を頂く宗教は他にないでしょう。

あれを見て、キリスト教徒たちは何を感じるのでしょう?

あぁ~痛そう、でしょうね。

そして可愛そぉ~でしょう。

何で可哀想かというと、決して悪いことをしていないのに、ああやって残忍な刑を受けているからです。

そこにいたるまでの物語は省略しますが、皆子供のときから繰り返し聞かされてそらんじている。

れっきとした洗脳教育ですよね。

あそこで苦悩されているキリスト様は人類全体の罪を背負っておられるのだと。

あの十字架に桀になったキリスト様の苦悩を思い出し、自分たちの罪に思いを致すのだと。

十字架だけでいいじゃないかと思うのは間違いで、リアルなキリスト像をくっつけなければ鈍いヤツには分からんからだ。

まるでタバコの箱に癌になった患部の写真を載せるようなものだ。

そうでもしないと人間はすぐに忘れて、罪を何度も犯す弱い存在だからだ。

そして、キリストの愛を思い出す。

そうだ、俺たちはキリストを通じて神に祝福されているのだ。

だって、洗礼を受けることによって、神と契約を結んでいるからだ。

こちらが契約を破らない限り、その契約は有効なのだ。

こっちとら、神が味方についているんだ。

異教徒の悪いヤツから俺たちを守ってくれるんだ。

ならばヤツラと戦っても負けるもんか。

もし戦いで死んだとしても、オレは天国に行けるんだ。

そういう契約になっているんだ。

・・・・・・ってな具合でしょうね。