・・・・・・っということで、自分という人間がリアルタイムでこの世の中で生きているという事実を何故知らせたいのだろう?
人間はだれでも、自分の人生の意味を問いかけている。
常にじゃないけれど、繰り返される平凡な日常に、何の意味があるのだろうと疑問を持たない人はいないはずだ。
そして、年老いて死んでいく。
ブログを書く人はこんな枯れてしまった思いを抱く人ばかりではない。
人生これからの希望に燃えた若い人もブログを書く。
でも、だれでも自分の生き方に絶対の自信を持っているわけではない。
「これでいいのだろうか?」っという不安は常に頭の片隅に持っている。
それが人間というものだ。
・・・・・・
あまり上等な人生を生きていないけれど、自分なりに一生懸命生きているんだ。
いやいや、こんな生き方は全く予定していないなかったのだが、これ以外選択肢がなかったのだ。
とんでもない、そんな故難しいこと考えて生きていないよ。
フィットネスクラブで楽しかったことを記録しているに過ぎないんだよ。
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でも、結局「共有」を通じて、「共感」を求めているんでしょ?
つづく。