こんなことは以前になかったことなのだが。
いやァ素晴らしい。
手放しに絶賛してしまう。
あのTVで流れていた「こだま」という詩。
正直言うと、ウケ狙いみたいなあのオチが、なんとなく「小ざかしい」という印象を持っていた。
この詩集を読んでみると、必ずといっていいほどオチが付く。
だが、それが「深い感銘」に変わっていった。
小ざかしいとは対極の、なにかピュアな悲しさを感じるのである。
彼女の生きていた明治末期から昭和の始めの時代、子供たちはまだまだ自然に囲まれていた。
町に住んでいても、町をちょっと出れば、そこには田園や、自然の山並みに触れることが出来た。
大人になった彼女も、自然に触れることによって子供時代の視点に戻ることが自由に出来たからこそ、こういう詩を作ることができたのだ。
今の子供たち、そして親たちも、彼女の詩を読んで、理解できるのであろうか?
過去の体験を重ね合わせて。
少なくとも、ぼくは彼女の詩に波長を合わせることが出来る。
そういう日本人独特の感性が、失われることをとても残念に思う。
子供の世界は小さく狭いと思われているかも知れないが、実は大人になるほど世界が小さくなることに気付かされた。
子供の視点は低くて、狭い。知識も少ない。
でも、それは「想像」という力によって限りなく広がることが出来る。
大海原、空の果て、宇宙の星。
かと思ったら、蜂の目になったり、キリギリスや、洗濯物の細かい泡の中に入ったり、極小の世界にも自由に行き来できるのだ。
大人になるにつれて、知識が増えるが、それによって世界を分かった気になっている。
大人になること、それは想像力を少しずつ失う過程なのである。
子供の視点は低くて、狭い。知識も少ない。
でも、それは「想像」という力によって限りなく広がることが出来る。
大海原、空の果て、宇宙の星。
かと思ったら、蜂の目になったり、キリギリスや、洗濯物の細かい泡の中に入ったり、極小の世界にも自由に行き来できるのだ。
大人になるにつれて、知識が増えるが、それによって世界を分かった気になっている。
大人になること、それは想像力を少しずつ失う過程なのである。