・・・・・・・っということで、【作家には自殺者が多い】という仮定。
金子みすゞ
芥川龍之介
太宰治
三島由紀夫
川端康成
アーネスト・ヘミングウェイ
・・・・・・
本を殆ど読まない人でも、ざっとコレくらいはすぐに思い浮かぶはずだ。
果たして、コレだけで【作家には自殺が多い】という仮定が正しいのか、甚だ怪しい。
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そして、第二の仮定:
【文章を書くから自殺するのか?】
ウゥ~~~ン、これは我ながら大胆な仮定だ。
だって、自分でも驚くくらいブログを書いているからだ。
まっ、ぼくは自殺しないだろう。
今後の状況によっては、断定できないが。
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次に第三の仮定:
【文章を読んでいると、その気(け)がある文章は分かるのか?】
コレは難しい。
みすずの詩を読んでいて、分かるか?
芥川は?太宰は?三島は?川端は?ヘミングウェイは?
自殺を遂げる前に分かったら大した眼力だ。
大体において、自殺した後になって、「ああなんとなく」だろう?
そりゃ難しいさ。
自殺しようとする人なら、なおさらそれを悟られまいとするはずだ。
逆に明るくノー天気な文章を書いてカモフラージュするかもしれない。
だが、現実の本人と文章の明るさが際立っているとすれば、それは「怪しい」。
・・・っとなると、現実の本人と文章のギャップに気付かなければ、
自殺を事前に予知することは不可能なはずだ。
だから、一読者が作家の自殺など、予測できるはずがない。
これが第三の仮定に対する答えだ。
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みすゞの場合、最後の詩とされる下の文を読んで「死」を嗅ぎ取るのは不可能だ。
後だから分かるのだ。
「きりぎりすの山登り」
きりぎつちょん、山登り
朝からとうから、山登り。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
山は朝日だ、野は朝露だ、
とても跳ねるぞ、元気だぞ。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
あの山、てっぺん、秋の空、
つめたく触るぞ、この髭に。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
一跳ね、跳ねれば、昨夜見た、
お星のもとへも、行かれるぞ。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
お日さま、遠いぞ、さァむいぞ、
あの山、あの山。まだとほい。
ヤ、ピントコ、ドッコイ、ピントコ、ナ。
見たよなこの花、白桔梗、
昨夜のお宿だ、おうや、おや。
ヤ、ドッコイ、つかれた、つかれた、ナ。
山は月夜だ、野は夜露、
露でものんで、寝ようかな。
アーア、アーア、あくびだ、ねむたい、ナ。
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ところが、現実の本人を知っている者はどうだろう?
なぜ、気が付かなかったのか。
この問いに一生、苛(さいな)まれることになる。
そう、一生だ。