・・・・・・・っということで、辻井伸行をBS朝日で観た。
ご存知だと思うが、彼は全盲のピアニストである。
現在23歳。
1歳のときに与えられたおもちゃのピアノが彼の人生を決定付けた。
そして、彼の両親、特に母親の運命を変えた。
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音楽は楽譜を見て演奏するものである。
作曲家は、まるで神の啓示を受けたみたいに頭の中に音楽が浮かぶ。(タブン)
そして、それを楽譜に落とす。
ところが、微妙なニュアンスは楽譜では完璧に再現できない。
だから、いろいろと書き込む。
そういう意味で、楽譜は完璧ではない。
その証拠に、自動演奏ピアノに音符のデータを入力しても、感動的な演奏は期待できない。
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小説家も同じだ。
心に浮かんだストーリーを文字で表す。
だが、人類が発明した単語の組み合わせ以上には書けない。
だから小説を読んでも、作家の伝えたいことは完全に読者に伝わらない。
いわんや、翻訳小説においてをやである。
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ところが辻井伸行氏においては、楽譜は介在させようがない。(点字の楽譜があるので、これは不正確な表現であるが。)
彼の場合、音楽をそのまま耳で聴いて、再現する。
一回聴いただけで、ほぼ完璧に再現できるそうだ。
これは、作曲家の頭の中に浮かんだ曲を、楽譜という不完全な媒体を省略して、そのまま演奏家の頭で再現すると考えてよいだろう。
・・・っということは、作曲家の頭と彼の頭は直結されているといえるのではないか?
もし、その仮定が正しければ、それはスッゲェ~~~ことになる。
だって、モーツァルトともショパンとも直結できるんですぜ。
・・・っということは、神に直結できるという意味でもある。
彼ら音楽の天才は、神に愛された特殊な人々なのだから。
あれ?
かなり飛躍しちゃったかな?
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ところが、そう簡単にはいかない。
彼(辻井伸行君ね)も人間で、成長するからだ。
曲には、必ず【解釈】が伴う。
同じ曲を彼が子供のときに演奏したものと、成人のときに演奏したものが同じであることはありえない。
なぜか?
そこに、彼の【解釈】が自然に入り込むからだ。
スッゴク不思議なんだけれど、人生の経験を積めば積むほど、演奏に深みが出てくる。
ホントかナァ~~??
でも、そうなのである。
【奇跡のカンパネッラ】で有名なフジコ・ヘミングの演奏は彼女の人生経験抜きでは理解できない。
これは、分からないようで分かる解釈だ。
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じゃあ、辻井伸行氏は年齢を重ねれば重ねるほど、演奏に深みが増すのか?
ぼくはヘソ曲がりなので、そうは思わない。
彼のいままでの人生とはいったいナンだったのだろうか?
これからの彼の人生って、ナンなのだろうか?
普通に恋愛して、失恋して、結婚して、子供を儲けて、夫婦喧嘩をして、倦怠期を迎えて、浮気をして・・・・・・
それが彼の人生に深みを与えるのだろうか?
否。彼を見て、そんなことを超越している(欲しい?)と感じたのだ。
あれほど、音楽に全身全霊で打ち込んでいる演奏家は見たことがない。
正直言って、ぼくは彼の音楽性を評価できない。
自分は他人の演奏を評価出来るほどの知識がないからだ。
だけれども、彼は神に愛されていると思う。
音楽を解釈するという次元ではとても語れないのだ。
間違いなく、彼は音楽という神様に愛されている。
どうか、
どうか、彼の人生が順調でありますように。