【自分】について | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、今朝電車の中で考えたことの続きを帰りの電車の中で考える。

いったい【自分】とはなんだろう?

まず生命体である自分を考える。

生まれてきたときの自分と、今の自分は同じであろうか?

まったく別物だ。

髪の毛一つとっても何度生え代わったか分からない。
(最近は生えてさえ来なくなったが・・・(-_-;))

骨だって、肉だって細胞はどんどん代謝して代わっている。

一年前と比べても、自分の肉体は別物だ。

胃の粘膜細胞にいたっては、1時間前とも違う。

自分の胸をドンと叩いて、これがオレだと宣言しても、常に変化しているのだ。

・・・・・・

それでも、まだふさふさの髪があったころの社員証の写真は自分であることを証明する。

物質的には完全に違うのに、ぼくの身体的特徴を兼ね備えていれば、自分なのだろうか?

自分であることを特徴付けているのはDNAだ。(と思う。)

じゃあ、DNAこそが自分なのか?

この考えは特許権を主張しているみたいで、なんか空しい。

・・・・・・

ここまで考えると、確かに肉体もDNAも自分であることには違いないが、決定的なものではないこ

とが分かるであろう。

当然、次に出てくる考えが、【心】の話である。

肉体というハードウェアに乗っかっているのが、心というソフトウェアだ。

心こそが自分であることを特徴付ける決定打だと思うでしょ?

だって、ものの考え方、行動パターンは心が決定するものだから。

でもこの心というソフトウェアほどあてにらないものはない。

肉体以上に変化するからだ。

ウィンドウズという基本ソフトは代わらない。

インプットに対して常に同じアウトプットを出す。

ところが人間というものは、朝は機嫌のいい良い人だったのに、

夕方はとても気難しい人間に人間に変ることだってしょっちゅうだ。

デート前は大好きだった彼氏が、デート後に殺してやりたい相手に変る事も日常茶飯事。

子供の頃に大嫌いだった牡蠣が、大人になって大好物になる。

いったい自分といわれる自分はどの自分なのだろうか?

お分かりと思うが、自分なんていうものを定義しようとしても、肉体的にも精神的にも特定でき

ないのだ。

・・・・・・

こういう風に書いてくると、次のような反論が出るであろう。

自分は常に変化しているのだ。

それが自分なのだ。

重要なことは、その変化が連続していて、断絶がないことだ。

だから、変化していく過程の一瞬一瞬こそが自分なのだと。

この反論は説得力がある。

自分といった時点の自分が自分であると定義してもいいだろう。

・・・・・・

だが、次のような事例を考えると、その定義も怪しくなる。

例えば、ボケだ。

ぼくもだいぶボケが入って、自分が昨日何を食べたかも思い出せない。

そのボケが進んで、カミサンや自分の子供の顔さえも忘れてしまうようになるかも知れない。

それでも、自分なのだろうか?

その段階になって、自分なんかどうでも良くなるのではないか。

例えば精神障害だ。

それでも、自分なのだろうか?

自分を自分と認識しなくても、自分なのだろうか?

動物となんら変らなくても、人間なら自分なのだろうか?

・・・・・・

怪しい。

とても怪しい。

自分という定義。

・・・・・・っと、ここまで考えましたが、納得できる結論に至らない。


次に、自分という意識が自分のものであるかということを書きたい。

だんだん、ワケ分かんなくなってきたが、次で最終回にするつもり。