・・・・・・・っということで、思考の断片その2。
これはあくまで仮定の話。
心の病に悩んでいる人たちを見ていると、どんどん自分の心の内側に入り込んでしまっているように見える。
いつも自分からの視線で、他人の視線を持って自分を見ることが出来ないようです。
こう言うと、すぐ反論が来るでしょう。
他人の視線を常に気にして、押し潰されそうだと。
だが、ぼくの言いたいこととは、違うんですね。
他人からどう見えるかじゃなくて、自分が一旦他人になって、その他人の目で自分を見るということなんです。
要するに、心に病を持っている人は、客観的に自分を見ることが上手くいっていないんじゃないでしょうか。
普通の生活の中で、自分を見つめるとき、自分の目線で見るときと、他人の目で見ることを、
意識せずに上手くやっているでしょ?
考えてみれば、これって、難しい作業ですよね。
全体の中の自分の位置判断を、一瞬で行っていることですよね。
そうすると、自分の置かれている周囲の環境を、的確に捉える能力がなければならない。
これはずっと不思議に思っていたことなんです。
自分はあくまで自分なのに、
実は自分であって自分でないのです。
ちょっと分かりづらいですかね?
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例えば、駅の人ごみの中を歩いているとします。
ぼくは、自分の固定視線で人々を見ているのに、
物理的にそれ以外できないはずなのに、
なぜか、人ごみ全体の中の自分も見ていることに気付きませんか?
別の例えを出すと、数人で会話している場面。
ぼくは言いたいことがあり、それを言えばいいのですが、言えない、
あるいは言わないことってあるでしょ?
それは、参加している全員の中で自分の発言がどう捉えられるか、気にするから言わないのでしょう?
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こういう、周囲の環境の中の自分を客観的に見る視線を皆が持っており、
社会生活の中では、実に自然に行われていることに気付きませんか?
そして、それは実に不思議なことだと思いませんか?
よく考えれば、それってとても難しい作業でしょう?
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自然に行われていると書いたばかりですが、実のところ上手く出来ていないのが実情でしょう。
大体そこで、行き違いが生じてトラブルの原因になる。
自分を客観的に見ることが巧みな人と、下手な人がいるのは当たり前ですね。
話を元に戻せば、心の病に陥っている人たちは、その下手な人の部類に入るのですが、
その原因を自分の内側に求めて、どんどん深みに入る人たちじゃないでしょうか。
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非常にデリケートな問題を、無知な素人がいじくっていると自覚していますが、
今朝、頭に浮かんだ思考の断片として書きました。