ドーリル師が伝えるピラミッドの方向とは少しずれるかもしれませんが、日本からピラミッドが発祥しているとする記事を紹介します。
「ムー」2022年9月号
ピラミッドがつなぐ古代の日本とエジプト
古銀 剛〈超古代ピラミッド「葦嶽山」のオリオン・ミステリー〉(「ムー」2022年9月号に掲載)について。
現代の日本でピラミッドが世間の注目を浴びたことが2回ある。1930年代と1980年代である。
その2回めのブームのときのことを憶えている人もいるかもしれない。その当時、「近代ピラミッド協会」が設立されたが、作ったのは畏友の故・吉永進一氏であった。氏とは同じクラブ(UFO超心理研究会)に所属し、飛鳥遺跡などに宇宙考古学的調査に行ったことがある。
どちらのブームのときも、広島県庄原市にある標高815mの山「葦嶽山」(あしたけやま)がピラミッドとして注目を集めた。
「ムー」2022年9月号に掲載された本特集記事(11-37頁)は、その日本におけるピラミッド・ブームの震源地の一人であった酒井勝軍の1934年の説を現地取材のうえ再検討し、さらに補説をくわえて、驚くべき仮説の像をつくりだしている。近年の「ムー」誌では出色の記事であり、この方面に関心がある人は一読して損はない。
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酒井勝軍(かつとき)は、1934年、広島の葦嶽山を訪れた。〈この山を「太古日本のピラミッド」と断じ、エジプトのピラミッドは日本がルーツだと主張した〉のである(11頁)。
酒井勝軍の著作は、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。
広島県の北東部に位置する庄原市の広報誌「しょうばら」2006年8月号(NO.17)の32頁で、葦嶽山は次のように紹介されている。
葦嶽山(標高815m)
日本ピラミッドと呼ばれる葦嶽山は、昔から神武天皇陵と言い伝えられ、その神秘的な山容と巨石群は古代遺跡の謎とされていましたが、昭和9年にピラミッド研究家の酒井勝軍が山頂で太陽石と磐境を発見し「葦嶽山は世界最古のピラミッドの本殿で隣の鬼叫山はその拝殿である」と発表しました。
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酒井勝軍は一般に日猶同祖論者(日ユ同祖論者、日本人の祖先がイスラエルの失われた十支族の一つとする説[日本とユダヤはルーツを同じくするという説とする場合もある])として言及されるが、ここで扱うピラミッドに関る説は、それとはベクトルが逆である。つまり、日本へ伝わったのでなく、日本から伝わったとするのである。
酒井は1927年の年末にエジプトはギザのピラミッドを訪れている。〈このときの見聞が、のちの葦嶽山ピラミッド発見への伏線となった〉のである(20-21頁)。そのあと、エルサレムに入り、〈橄欖山(オリーブ山)の上空に天皇の象徴である「錦旗」を幻視〉している(21頁)。
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本記事では、そうした時期の酒井の〈新たな転回点となった〉のが『竹内文書』との出会いであると書く(21頁)。
『竹内文書』は、〈武内宿禰(たけうちのすくね)の66代の後裔と称する竹内巨麿(たけうちきよまろ)が所蔵していた古記録・古文書類のこと〉で、その〈中核は神々と超古代天皇の系譜をまとめた神統譜(「神皇(しんのう)御記録」)〉である(21頁)。〈広義では[竹内]家に伝えられていたという宝物・神宝なども含まれる〉(21頁)。
酒井は昭和4年(1929)の春、茨城県磯原町の皇祖皇大神宮(巨麿が『竹内文書』を移した)に詣で、『竹内文書』を実見した(22頁)。
そのとき、〈酒井の目を惹いたのは、古記録・古文書ではなく神宝の方であり、就中「モーセの十誡石」であった〉という(22頁)。
十誡石には〈真十誡石と裏十誡石があり(その後、表十誡石も発見される)〉、〈裏十誡には「日本神を拝礼せよ」「祖国日嗣神(=天皇)を拝礼せよ」「日の神に背くなかれ」といった条文が含まれていた〉(22頁)。
この十誡石によって酒井の日ユ同祖論はベクトルの向きが反転した。
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酒井がピラミッド日本発祥説をいつ構想し始めたかははっきりしない。いづれにせよ、その説を支えるものは、日本のどこかにある〈原ピラミッド〉でなければならない。
そんなときに、酒井は情報を得て、葦嶽山の実地調査に乗りだす。酒井が葦嶽山を見たのは昭和9年(1934)4月23日の日没後のことであった。酒井は「諸君、あの山がまさにピラミッドである!」と叫んだ(24頁)。
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酒井のピラミッド日本発祥説の中心となるのは、葦嶽山とギザの大ピラミッドの相関であるが、本記事の独自の観点として、その天文学的な意味合いがある。
それは、ギザの三大ピラミッド(クフ王のピラミッド、クフ王の息子カフラー王のピラミッド、カフラー王の息子メンカウラー王のピラミッド)の配置だ。〈クフ王を東北端、メンカウラー王を西南端として、ほぼ一直線上に並び、しかもその間隔がほぼ等しい〉(34頁)。
1994年に英国で刊行された書物『オリオン・ミステリー』(Robert Bauval and Adrian Gilbert, 'The Orion Mystery')が〈ギザの三大ピラミッドはオリオン座の三ツ星になぞらえられて建造された〉との説を唱えた(34頁)。
本記事の取材班は、そこから、日本のピラミッドがエジプトの〈オリオン・ミステリー〉の起源になっていると想定し、三ツ星に照応する3つのピラミッドが存在するはずと考えて、調査する。
その結果、星居山(ほしのこやま)、葦嶽山、八国見山(やくにみやま)の三山が直線状に並ぶことを発見した。
ただ、ここで奇妙なことが分る。それは、エジプトの三大ピラミッドが南西から北東方向へ並ぶのに対し、星居山、葦嶽山、八国見山は南東から北西へ並ぶ。つまり、左右が逆なのだ。
この点に関し、本記事の著者、古銀 剛氏は、卓抜な見解を披露する。
結論をいえば、エジプトのほうは、地上の人間が南天にオリオン座を望んだときの星々の配置を地上に投影させた。一方、日本のほうは、オリオンの視点から地球を見た際の配置をそのまま地上にうつしたと。
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さらに、神話的なことを付言すると、〈エジプトの王は死後、天空へ旅立ち、オシリスになると信じられていた。つまり、地上での生を終えた王はドゥアト(オリオン座一帯)に昇り、オシリス=オリオン座の星になると信じられた〉(35頁)。〈オリオンの三ツ星が冥界の神オシリスと同一視〉され、〈オリオン座のあとを追って夜空に昇るシリウスは、オシリスの妹にして妻である女神イシスに見立てられたという〉(37頁)。
オシリスとイシスとが、日本神話のイザナキとイザナミの末裔とすれば、ちょうど、〈八国見山の北東約20キロの場所に、女神イザナミの葬地との伝承がある比婆山(ひばやま)がそびえている〉(37頁)。
古事記が国生み・神生みの箇所で、イザナキとイザナミが「天之御柱弥広殿(あめのみはしらいやひろどの)」(=ピラミッドと酒井は考える)を建造したと記すことを考えあわせると、興味深い。