訂正することの大切さと難しさ | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

6歳になったピピウ。

 

 

日本語とイタリア語のバランス、まぁまぁだと思います。

 

イタリア語はもうペラペラです。

日本語を抜きました。

 

3歳までは保育園にも行かず、私の日本語を聞く機会の方が多かったので、日本語優勢でしたが、幼稚園生活約3年を経て、現在は確実にイタリア語優勢ですイタリア

なんなら、イタリア語というか、フィレンツェ弁です。

 

 

 

さて、劣勢になってしまったピピウの日本語ですが、それでも私と話すときは90%以上日本語です。

 

ピピウのイタリアの幼稚園のお友達といるときは、私ともイタリア語を話すことがあるので、90%くらいとしておきます。

 

 

ときどき、イタリア語の言い回しをして、“こういうふうに日本語では言わないなぁ”…と思うこともありますが、一応、意味の通じる日本語を話します。

 

時々助詞を間違ったり、言葉を間違ったり、活用を間違ったりすることもあります。

 

その間違いを聞いて、“かわいいなハートと思うのが親ばかとしては正直なところ。

 

 

 

 

でも、私はピピウの日本語の間違いは“訂正する”ようにしています。

 

訂正する際には「そんな言い方しないよ。」とか、「間違ってるよ。」とかは言いませんバツレッド

 

ただ、間違えた瞬間に正しく私が言い直しています。

 

それで本人も“あ、違うんだ”と気づくらしく、大抵の場合は私が言った正しい言い方で言い直します。

 

例えば

 

「このお菓子は おいしいじゃないね。」

 

とピピウが言えば、すぐに

 

「おいしくないね。」

 

と私が言っているのです。

 

 

ま、それでも何回も間違うこともあるのですが、そこはもう繰り返すしかない。

その甲斐あってか、最近は以前より形容詞の活用の間違いが少なくなってきたと感じます。

進歩してる。

 

 

 

 

 

子供の言い間違いってかわいいですよねハート

むしろ、このまま間違ってても、かわいいからいいんじゃないかと思ってしまうくらい泣き笑い

 

もし、私たちが日本に住んでいるとしたら、私もここまでピピウの日本語の間違いを気にしたりしないと思います。

 

しかし、ここはイタリアイタリア

 

もし、私がピピウの日本語の間違いを訂正してやらなければ、正しい日本語をピピウが知る機会は限りなく少ないのです。

 

「そのうち正しく言うようになるでしょう。」

 

「そのうち間違いに気づくでしょう。」

 

というのは、日本に住んでいれば言えることで、海外に住んでいる場合は、私は日本語の間違いは訂正してやるべきだと考えます。

バイリンガルを目指すならね。

 

 

 

 

 

 

というのも、私の日本語の生徒さんたちがそうだから。

 

私の日本語の生徒さんたちにとって、日本語は“外国語”です。

 

大人になって、一から日本語の“学習”を始めた人たちです。

 

 

その人たちが正しい日本語を話すようになるには、間違いを訂正してあげなければなりません。

 

 

私が会話の授業で、学習者の間違いを訂正するときはだいたいピピウにしているように、間違ったフレーズまたは言葉を私が正しく言い直します。

 

私が言い直したフレーズを聞いて、自分の間違いに気づく学習者も多く、だいたい言い直してくれるのですが、時には“何が間違っているのか分からない”“私が言ったフレーズと自分が言ったフレーズの何が違うのか分からない”といった場合ももちろんあります。

間違いに気づかないんですね。

 

その場合は、

「“〇〇”と言いますか?」

とヒントを出したり、

「“〇〇”じゃありませんね。“◇◇”です。」

と間違いを指摘する場合もあります。

 

ま、それでも次の授業の時にはまた同じ間違いをしたりするんですけどねタラー

 

たぶん、学習者のなかでそう覚えてしまっているので、特に会話で正しく言うのは難しいのでしょう。

うん、うん、その気持ちもよく分かる。私のイタリア語だってそう。

 

 

 

あと、長い文になると、多くの助詞を間違える学習者もいます。

難しいからしょうがないよね。

 

でも、多くの助詞を間違えると、フレーズの意味が分からない場合があるので、それも訂正したほうがいい。

 

が、しかし、全ての間違いを訂正したとしたって、その間違い全てをすぐに正しく覚えられるか、使えるかって言ったら…まず無理です。

誰にでも。

 

しかも、間違いを訂正しすぎると、全く会話を楽しめないという…真顔

私はこれが一番怖いことだと思うんですよね。

 

間違うのが怖くて学習者があまり発言しなくなったり、“会話が楽しくない!”と感じられるのが一番危険注意

 

なので、話す内容に間違いが多すぎる場合は、とりあえず、“今日は助詞を訂正しよう!”“今日は形容詞の活用を訂正しよう!”と訂正する標的を絞って訂正するようにしています。

 

 

 

 

 

 

これはピピウと話すときも同じだなと思うのです。

 

今のところ、“あまりにも間違いが多すぎる”…とピピウが話すことを聞いて思ったことはありませんが。

 

私の生徒さんの日本語の間違いを訂正するときはその人の性格を考えたり(間違いをあまり強く指摘されたらしゃべらなくなりそうな生徒さんとか)、自尊心を傷つけないように配慮しているつもりですが、我が息子にも同じようにしてやらなければなと思います。

 

「もう、日本語で話したくない!」と思われたら、本当に終わり真顔

生徒さんたちにも、ピピウにも。

 

 

今日も気を付けながら、ピピウと生徒さんたちと、日本語のおしゃべりを楽しみますニコニコ

 

 

 

 

 

 

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