NICUの看護師さん | 憧れの(?)Italia Firenze生活

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イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

今日は午前中にアウトレットまで行ってきました。

 

ピピウの服を買わないといけなくて。

 

 

 

買いたいものは買えたし、じゃ、帰るかと歩いていると…

 

前方から来る人にどうも見覚えがある…。

 

 

 

すれ違った瞬間、NICUの看護師のSだ!と確信。

(Sはご主人といて、すれ違う時も私の方は見ていませんでした。)

 

振り返って、「S!」と呼ぶと、向こうも振り返ってくれて…

 

びっくりハッ

ピピウのマンマ!?」

 

とすぐに分かってくれて、

 

がっしりハグをしてくれました。

 

 

「ピピウは?ピピウもいるの?」

 

と聞かれましたが、

 

「ピピウは幼稚園。」

 

と言うと、少しがっかりした様子でした。

 

 

 

ピピウがNICUにいたときにお世話になった看護師のSさん。

 

今でも時々SNSで交流があったり、メッセージを送ったりはしていたのですが、実際に会うのは何年ぶりでしょうか。

 

というのも、コロナだったことはもちろん、Sさんは数年前にピピウがお世話になったNICUから別の病院(フィレンツェ県外)のNICUにかわったのです。

 

なので、お世話になっている小児総合病院へ行っても、会えないのです。

 

 

久しぶりに会えて、今となっては5年半くらい前の話から近況までいろいろ話して、30分以上立ち話しタラー

 

ご主人、ごめんなさい。

 

でも、初めて会うご主人もピピウのことを知っていてくれました。

Sさんがいつも家でも話していてくれたからです。

 

 

NICUにいたのはもうずいぶん昔のことのように思えるのですが、こうして当時を知る人に会うと、一瞬であの時に戻ってしまうものなのですね。

 

当時のことを話してて、私もSさんも泣きそうになってきました。笑

 

 

 

5年半前、こうやって看護師さんと当時を振り返り笑いあえるなんて、想像もできなかったな…。

 

 

 

 

 

 

そして、別れ際、

 

「今までにいろいろな赤ちゃんとその両親を見てきたけれど、あんなに長い間、そしていろいろあったのに、NICUで頑張っていたあなたたち家族のことは絶対に忘れないわ!そして何より、あんなに頑張ったピピウのことなんて忘れられるわけがない!いたずらっ子になったピピウによろしくね!」

 

と、またがっしりハグしてくれました。

 

私も

 

「あの時、あなたがピピウと私たち夫婦にしてくれたことは、絶対に忘れない!」

 

と、がっしりハグをしかえしました。

 

 

 

ピピウの命の恩人の一人に数年ぶりに会って、心温まった寒い寒い朝だったのでした。

 

 

 

 

 

 

 


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