日本からも"ありがとう" | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

 
免疫科の定期外来に来た日。
 
この病院へ来たら必ず立ち寄る…NICU へ!
(もちろんNICU 内には入れませんよ。事務所等がある裏口まで。)
 
 
 
今回は珍しく午後の外来だったこともあり、長い間会えていなかった看護師さんたちにも会うことができました。
 
 
その時、NICU のドクターたちは会議中でした。
 
が、看護師さんたちがピピウを連れて会議室をノック。
 
ガチャっとドアを開け、
 
「ドクターたち!大切なお客様が来たわよ!」
 
と。
 
 
 
 
ドアが開くと同時にピピウが歩いて向かったのは…
 
NICU 医局長のところ。
 
 
強面の医局長ですが、赤ちゃんにたいしてはおじいちゃんになる医局長。
 
「ピピウ、歩けるようになったのか〜。ブラボー!」
 
と。
 
 
他のドクターたちにも抱っこパスされ、ダンナの元へ戻ったピピウ。
 
会議のジャマになるので退出しましたが、ドクターたちも喜んでくれるので、私たちも嬉しいです。
 
 
 
で、会議室の前で看護師さんたちと立ち話をしていると、白衣を着た見たことあるドクターが…
 
外科医局長!
 
ピピウの執刀医です。
 
 
緑の手術着の印象が強すぎて、白衣だと分かりにくい…滝汗
 
 
 
 
ピピウを見て、
 
「大きくなったなー!
日本での写真見たよ。
順調にいってるそうじゃないか。」
 
と。
 
 
 
 
お正月、日本の家族と家族写真を撮りました。
私の両親、兄家族、私たち家族。
初めて全員揃っての写真です。
 
その写真を添えて、NICU のドクターや看護師さんたちにメッセージを送ったんです。
 
「日本の家族がとても感謝しています。
私の日本の家族はピピウが生まれてからずっと、ピピウに会える日を、ピピウを抱っこできる日を夢見ていました。
その夢が今実現しました。
これも皆さんのおかげです。」
 
と。
 
ただ、NICUスタッフ 全員の連絡先を知っているわけではないので、
 
「お願いです。
他のNICU スタッフ、外科医局長と副医局長にも伝えてください。
みなさんのおかげで、ある日本人家族が新しい家族のメンバーに会うことができ、幸せでいっぱいだと。」
 
と書き加えました。
 
 
 
そして、私の送ったこのメッセージと写真は、あるドクターがNICU スタッフのチャットグループと外科医局長、副医局長にも転送してくれました。
 
 
 
 
メッセージには、
 
「本当に良かった。」
 
「感謝だなんて…光栄です。」
 
「ピピウは私達にとっても名誉。」
 
「ピピウと両親の力よ。」
 
等々、温かい返信をもらい、
 
イタリアに戻ってから、連絡先を知らないドクターたちに病院で出会うと、
 
「メッセージと写真、見たわよ!ピピウ、日本の家族に会えてよかったね。」
 
 
と、声をかけてもらいました。
 
 
 
 
外科医局長も、ちゃんとメッセージを見てくれたんですね。
 
 
嬉しかったです。
 
 
 
 
でも、本当に感謝の気持ちをこの人たちには伝えたかった。
 
私たち夫婦だけでなく、日本の家族も病院スタッフには心から感謝しています。
 
 
ありがとう。
 
 
 
 
私たち夫婦はNICU スタッフ、その他にもピピウを診て、看護してくださった(くださっている)スタッフが大好きです。
 
医療従事者として素晴らしいことはもちろんなのですが…
毎日通ったNICU での半年間+数ヶ月の入院を通して、人としても素晴らしいことが分かりました。
 
 
"友達"とは言いません。
 
でも、ピピウが乗り越えてきた数々のことと、
私たち夫婦が過ごした絶望の時期を
誰よりも理解し、人として寄り添ってくれたのは彼らでした。
 
彼らにとっては仕事ですし、私たちは一患者とその親でしかありません。
 
でも、"寄り添う医療"があるとしたら、彼らは私たちに十分すぎるくらいのそれを示してくれました。
 
NICU を卒業してからも、今でも、彼らはそれを私たちに示し続けてくれています。
 
だから、ピピウのことで不安があっても、少し安心できるのです。
 
だから、大好きです。
 
そして、何回でもありがとうを言いたいです。
 
 
 
 

今日もKUROと町の写真を応援クリックお願いします!
 

 

↓ ↓ ↓ ↓



にほんブログ村