ピピウは早産で1000gの小さな小さな体で生まれ、その後もいろいろな合併症と戦い、時には命の危険に晒されたこともありました。
小腸の大半を失って、家でも点滴のある生活。
その生活は数年続くか、一生続くか分からず、そうなると、日本へ連れて行くのは難しいと思っていました。
ピピウと日本へ行けるのはいつか?
そもそも、ピピウが日本へ行ける日は来るのか?
2017年は本当にこれでもかというほど大変な年でした。
この年に命をかけて戦っていたのはピピウだけではありませんでした。
私の父も日本で癌と戦っていました。
今も戦っています。
ピピウがNICU に居た頃、父の容態が悪く、父も入院しており、少しでも元気になってほしいと、NICU の看護師さんやドクターに許可をもらい、特別にNICU 内でビデオチャットをさせてもらい、動いているピピウを父に見せたこともありました。
ピピウの退院後も両親がイタリアにピピウに会いに来るのは難しく、かといってリスクを犯してまでピピウを日本へ連れて行くこともできません。
ピピウを早く父に会わせたい。
抱っこしてもらいたい。
そう思わない日はありませんでした。
その後、ドクターも驚きの回復をみせたピピウ。
年末に日本へ行くとしたら、秋には飛行機のチケットを購入したいところ…。
そこで、主治医には夏の終わりから相談していました。
10月、「この調子でいけば、12月に点滴離脱も夢では無い。でも、離脱できると保証はできない。ただ、年末に日本へ行くというのであれば、点滴から離脱していなかったとしても、必要な点滴や医療機器を日本へ持っていけるよう書類等の準備はできる。何かしら方法はある。」と主治医に言ってもらいました。
主治医も父の事を心配してくれていました。
そこでチケットを購入
ただ、チケットはいつでもキャンセルするという心の準備と保険は用意していました。
ピピウの健康が大切。
何かあればチケットを全部キャンセルする勇気も必要です。
結果、無事、点滴無しで日本へ行けることになりました。
日本へ着いて、兄夫婦と対面。
そして実家で両親、ピピウの祖父母に対面です。
とても喜んでくれました。
パソコン越しでも、スマホ越しでもないピピウ。
ピピウが父は母と昼寝している様子や、遊んでいる様子を見ると、涙が出そうになりました。
本当に良かった。
父もピピウも本当によく病気と戦っています。
日本へ行く前は、両親とビデオチャットをしてても、あまり興味を示さなかったピピウ。
今はピピウも実際にジジとババに会ったことで、ビデオチャットをすると、手足をバタつかせてよろこぶようになりました。
これからも父にはピピウの成長を見守ってもらいたいし、ピピウといっぱい思い出を作ってほしいです。
また次の帰国まで、父もピピウも、どうか元気でいてください。
結婚した当初は何も感じなかったけれど、
ここ数年は、ますます日本を離れ難く、イタリア行きの飛行機の中で泣いてしまいます。
年を重ねるごとに、日本を後にするのが辛くなってきました。
日本の家族、親戚、友達…なかなか会えないけれど、どうか元気でいてください。
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