規模が世界規模 (息子から学んだこと) | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

出産前から色々なママたちのブログを読んでて、よく目にしたのが…

子供が生まれる涙もろくなる

ということ。

以前は何も思わなかったことで感動したり、傷ついたりするという…。

きっとホルモン的な理由もあるんでしょう。

息子が早産で生まれてから、息子を失ってしまうんじゃないかという恐怖がなかなか消えない私。

息子に何かあったら…たえられない。




そんな精神状態の中で、世の中のニュースを聞くのが辛いんです。

交通事故で幼い子供が亡くなった。

ロンドンであったコンサート中のテロで、幼い少女も犠牲者に。
最近ではスペインでのテロ…。

イタリア南部の島に新生児を連れて命をかけて船に乗り海を渡ってくる難民たち。

今も世界のどこかで戦争をしていて、そこで何の罪もない子供たちが命を落とす。


そういったニュースを聞いて、犠牲になった子供のことはもちろん、そのお母さんたちのことを考えると涙が出てきそうになります。
出産直後なんて本当に泣いていました。


病気でも、誰のせいでもなくても、息子を失ったら…と考えるだけで辛いのに、もし事故や戦争、テロで息子を亡くしたとしたら…。

想像するのも怖いです。





4月の末、私たち夫婦は息子のことでドクターたちに「無理かもしれない」「覚悟してくれ」と言われました。

その時の恐怖ったら…。

正座すると足がシビれるじゃないですか?その痺れが体全体に広がって、立っていられないし、涙を拭くために渡されたティッシュでさえ手に持つことができませんでした。

命って、なんて儚くて、でも重いものなんだろうと思いました。

その時の私の恐怖を味わった、味わっているお母さんが今も世界のどこかにいる。
幸いにも、私の息子は助かったけれど、子供を亡くして、その時の私よりも絶望に打ちひしがれているお母さんが今も世界のどこかにいる。

そう思うと、胸が痛くて痛くてたまりません。

私も含め、人間ってバカだから、自分がその立場にならないとなかなか分からないものだと思います。
実際、私はこれまでテレビから流れてくる自分のいる場所から遠いとことで起きている他人の悲劇にこんなに心を痛めることはありませんでした。



世界中の人が出産直後の、ただ小さな我が子の命を守る事に必死な母親の気持ちを持っていれば、忘れなければ、きっと世界はもっと平和になるのかな?

その気持ちを持っていれば人を殺したりなんてきっとできないだろうから。


私なんかが世界規模での平和を願ったところでどうなるわけでもないというのは重々承知ですが、ホルモンの影響というのはかなり大きいようで、出産直後は本気で思っていたものです。




でも、小さな息子から学んだ確かなこと。

命って簡単に消えちゃうんです。

命って重いんです。

命ってあたたかいんです。

大事すぎて、それを失う恐怖は言葉にできないんです。



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