日本語の授業をしていて気付いた、
日本とイタリア、反対のこと。
イタリアでは
願いは声に出して言ってはいけない
と、言われています。
バースデーケーキのろうそくを吹き消すとき、願いを唱えながらイタリアでは消すのですが、その願いは声に出して唱えるのではなく、心の中で唱えます。
イタリアでは、願いを声に出して言うことは、あまり縁起のいいことではない、声に出すと願いが叶わないという迷信があるようです。
それに比べ、日本では、
願いや目標は声に出して言え
と言いますよね。
言霊。
声に出した言葉には魂が宿り、実際の行いに影響を与えるというもの。
良いことを言えば良いことが起こり、悪いことを言えば悪いことが起こる。
願いや目標を声に出して言うことによって、その言葉に魂が宿り、それが現実になる。
私は別に迷信は信じませんが、この言霊という考え方は好きです。
やはり、声に出して何かを言う、しかも大切なことを言うというのは、言う前にそれなりの覚悟がいりますし、ただ考えているだけと、声に出して言うのとでは大きな違いがあるように私は感じます。
心で思っているときは、周りの人は私の願いが何なのかもちろん分かりませんしね。
それに、自分の願いが自分の声という音として外から耳に入ってくることによって、自分の願いをより明確に認識できるような気がします。
全ての授業で言霊について説明するわけではありませんが、たまたまそういった話になったとき、言霊の話をすることがあります。
多くの生徒さんはそれを聞いて「素敵だ。」と言います。
言葉と言えば、最近、言葉って不思議だなということがいくつか。
数日前にブログに書いた、日本人(の特に子供)が約束をするときに歌う「ゆびきりげんまん」。
よく考えたら恐ろしい歌詞だということを書きました。
その記事はこちら→「衝撃的な日本の…」
子供の時に丸覚えした歌の歌詞とか、セリフというのは、その意味を把握せず、そういうものだと思って丸覚えしているので、その意味を真剣に考えるまではなんとも思わないものです。
だから、母国語とか外国語とか関係なく、内容を理解しようとしなければ、言葉なんてよくわからない呪文と同じ。きっと意味を持たないんですよね。
それが、ちゃんと意味を理解したうえで、読んだり、言ったりすると、その時初めて言葉は“意味”を持つんだなと思ったわけです。
さらに、最近、寝る前にやってはいけないことをやっていまして…。
それは、Youtubeで昔のJ-POPの検索。
もう、これ、一回検索して聴きだすと、次々と思い出して、懐かしくて、止まらない。
あっという間に時間が経って、夜遅くなるので危険です。
でも、そんなことをしていて気付いたことが一つ。
小・中・高の頃に何度も聞いていた曲の歌詞が昔よりも心に響く。
そのころ、何度も何度も聞いて、歌っていた曲だから、歌詞は昔から知ってるんです。
でも、それを改めて今聞いてみると、同じメロディーで同じ歌詞でも、心に響くものがちがう。
この感覚は歌の歌詞だけでなく、本でも同じでした。
昔読んだ本を今読み返したら、昔よりもぐっときたことってありませんか?
今まで私は大した経験をしてきたわけでも、今、多くの事が理解できる人間ってわけでもないんですが、それでも、小・中・高校生の頃に比べたら、経験値はそれなりに増えているわけで、当時その歌を作った人たち、その本を書いた人たちが30代だったとしたら、今、その人たちの歳に自分が追い付いて、やっと歌詞や文章の本当の意味が分かるようになったってことでしょうか。
だから、言葉って、きっとそれを聞く年齢や経験によっても意味とか、重さが変わってくるんでしょうね。
学生の頃、B’Zが大好きでした。
この曲が発表されたのは1992年。
そうそう、私、小学生だったわ。
5歳年上の兄が聞いていて、それで聞くようになったんです。
小学生と30代半ばでは、そりゃ感じるものも違うわな。笑
長々とつぶやきを書いてしまいましたが、何が言いたいかというと…
やっぱり、言葉の力ってすごいなということ。
書いても、声に出して言っても、言葉には何か力があるような気がします。
霊的にではなくてね。
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