未だに慣れないこと。 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

これでもイタリア生活当初に比べたら慣れたほうだとは思うんですが…



人が話しているのに、その途中で話し出すイタリア人たち。


これにはなかなか慣れません。




イタリアのテレビの討論番組とかでもそうなんですけど。

人の話を最後まで聞かず、人が話してる途中で他の人が話し出し、

しかもどちらも話すことを辞めないから、

2人、時には3人同時にしゃべってるなんて状態があるわけで…


もちろん、何を言ってるのか、全く分かりません。





でもね、イタリア人って、フツーに、しかも悪気なく、

人が話してる途中で話し始める。




ま、イタリア語の構造にも原因があると思うんですよね。


イタリア語だけでなく、英語や、ほとんどの他の言語もそうだと思うんですけど、

文法が


S V O


ですよね。



ところが、日本語は、


S O V


動詞が最後に来ますよね。




例えば、


日本語では


私は 家に 帰ります。


ですが、


イタリア語やその他の言語の語順では、


私は 帰ります 家に。

(伊: Io torno a casa.)


となるわけです。



おまけに否定文になると、


日本語では


私は 家に 帰りません。


と、否定形が最後の最後で分かりますが、


イタリア語やその他の言語では、


私は ません 帰り 家に。

(伊: Io non torno a casa.)


と、主語の後すぐに否定形だと分かるんですね。




肯定否定

現在過去

という文中の重要ポイントが文末に来るわけですから、

私たち日本人は幼い頃から、


「人の話は最後まで聞きなさい。」


と教えられるわけですね。


最後まで話を聞かないと、何が言いたいのか全く分からないからです。




その癖が抜けず、

イタリア語がよく分からない頃、

とりあえず分からなくても話を最後まで聞いていました。


相手が全部話し終わった後、「分かった?」と聞かれて、「いや、分からない。」と答えると、

相手はまた同じ話をしてくれるわけです。

それをまた最後まで聞いて、「分かった?」との質問に「ううん、やっぱり分からない。」と答えると、

「全部最後まで聞くんじゃなくて、分からない単語があったら、話の途中でも質問して!むかっと言われたことがあります。


まぁね。


ごもっともよ。




でも、未だに、ど~~~も人が話してる途中で話を中断させるのが苦手。

ま、相手のイタリア人は話を中断されたとしても何とも思わないんだろうけどね。

きっと私の考えすぎ。



人が話してる途中で話出すことも苦手ならば、

私が話してるのに、途中で話出されるのも苦手。

相手が話し出すと、どうしても聞き役にまわってしまう…私が話してる途中なのに…。

これもきっと私の考えすぎ。


相手が途中で話し出そうが、私は自分の話を終えるべきなんだよね。



でも、難しいのよ、なかなかね。





とりあえず、


日本語をイタリア人に教える時には、

そういった文法的、日本人の性格的理由を説明して、

「人の話は最後まで聞くように。」

と指導しています。




私のダンナはイタリア人ですが、

付き合い始めた頃からずっとそう言ってきたので、

そのヘンは理解しております。