イヤホンを耳に突っ込み、スマホの画面に視線を固定。これでここは僕の世界だ。誰にも邪魔されることはない。目的地に歩き着くまでは。
歩きスマホが危険だなんてよくわかっている。だがこの忙しない日々の中、自分だけの時間なんて移動中くらいしか確保できない。これは、この世知辛い世の中で自我を保つための処世術のような物なのだ。
違和感に目を上げる。どこだ?ここは。両脇に樹が生い茂った、森の中の未舗装の道の上に、僕はいた。いつの間に迷い込んだんだろう。道の上にまで覆い被さるように茂った枝のせいで、昼間だというのに周囲は薄暗かった。
こんな森、近所にあっただろうか。思い出せないが、とりあえず引き返すことにする。まったく、ずいぶん長い間、道を間違えたことに気づかなかったようだ。振り返ってみると、先が見えないほど延々と道が続いていた。少しうんざりしつつ、歩き出す。
歩けども歩けども、一向に森を抜ける気配はなかった。おかしい。家を出てから森にいることに気づくまでの時間より長く歩いている気がするのだが。ここまで別れ道などは一切なかった。道に迷ったとは考え難い。不可解を抑え込み、耳慣れない鳥の声を聞きながら歩き続けた。
しばらく歩くと、複数の人の話し声が聞こえてきた。先に進むと、丸く木の生えていない広場のようになっている場所があって、そこに10人弱くらいの人だかりができていた。人々は皆、見慣れない不思議な格好をしていた。強いていうなら、世界史の教科書に載っていた、中世の人の格好に似ていた。
とにかく森を抜ける道を教えてもらおうと、中の一人に声をかけてみる。
「あの、すみません」
「ん?なんだ兄ちゃん、変わった服を着てるなあ。お前も挑戦者か?ならこっちへ来い!さあ!!」
僕が何かを言う前に、人だかりの中心、広場の真ん中に引っ張られてしまう。
そこには。膝くらいまでの高さの岩と、そこに刺さった一本の剣があった。その剣は、うっすらと白い光を放っているように見える。
「おいみんな!新しい挑戦者だ!!」
僕を引っ張ってきた男が、群衆にそう告げた。群衆は、妙な格好をしてるなとか、あんなヒョロガリに抜けるのか?などと、口々に勝手な事を言う。そもそも挑戦ってなんだ。
「あ、あの、僕は道を聞きたいだけで……ていうか挑戦ってなんのことです?」
男はポカンと口を開き、呆気に取られたような顔で「なんだ兄ちゃん、挑戦者じゃないのか。挑戦ってのはあれだよ、あの岩に刺さった剣を抜くのさ。あれを抜けたやつは選ばれし勇者だっつー言い伝えがあってな」
どこかで聞いたような話しだ。
「まああれだ。こんなところに迷い込んだのもなんかの縁だ。兄ちゃんも一応引っ張ってみたらどうだい?」そう言って男は、剣を指差した。
そうだそうだやってみろ、減るもんじゃなし!だのなんだの言う外野の声に押されるようにして、僕は剣のところに歩み寄った。なんなんだこの展開。それになんだよ勇者って。
なんだか揶揄われているような気もしたが、やればこいつらの気も済むんだろう。僕は剣の柄に手を掛け……
「ふんぬっ!!」
我ながら間抜けな声と共に、剣はすんなりと岩から抜けた。なんてことだ。
「おおおおおお!勇者だ!勇者様だ!!!珍妙な恰好の勇者様だ!!!!」
群衆は口々に僕を称えた。なんだかとてもむず痒い。
ひとしきり僕を讃え終わると、最初の男が僕に歩み寄り、こう言った。
「では勇者様、早速魔王をやっつけてきてくだせぇ」
……魔王?
「えっと、なんの話です?」
「嫌だなあ勇者様。勇者が聖剣を引き抜いたら、あとは魔王退治と相場が決まってるじゃないですか」
言いながら男はがははと笑う。こうして、僕の魔王討伐の旅が始まったのだった。
それから一年くらいの時間をかけて、僕は国中を周り、魔王の手下と戦った。森に潜んで旅人を襲う魔族を倒し、村を襲っては娘を拐かす魔王の幹部の首を刎ね、四天王と呼ばれる魔王の側近(5人いた)を切り殺した。どの戦いも、剣が勝手に動いてやっつけてくれたので、大した苦労はなかった。
そしていよいよ、魔王との直接対決の日がやってきた。魔王の城に向かうと、巨大な扉はひとりでに開き、僕を迎え入れた。城に入ってからも、誰にも邪魔される事なく、奥に進むことができた。最後の扉を開き、魔王の玉座の間に入る。
「よく来たな勇者よ」
低く、よく通る声が、薄暗い部屋に響く。広い部屋の奥に据えられた大きな玉座に、その声の主はいた。長い銀髪に整った白皙の顔立ち。想像していた姿とはだいぶ違う。
「もっと近くに来たまえ。話がしたい」
誘われるままに、僕は歩みを進める。
「話とは?命乞いか何かですか?」
声が震えそうになるのを上手く隠せているといいが。
「ははは、なかなか威勢がいいじゃないか。我が眷属を多数屠ってきただけのことはある。だが、命乞いとはまた別の話しだ。君の悩みについてのね」
「僕の、悩み?」
「そうだ。君は別の世界から来たのだろう?帰りたいとは思わないかね?」
魔王は、その端正な口の片端を少しばかり上げた。
「なぜそれを……」
僕は言葉を失う。
「そんなことはどうでも良いじゃないか。帰りたいのだろう?私はその方法を知っている」
動揺を隠しきれていたか自信がない。それほど、それは僕にとって衝撃的な言葉だった。この約一年、押し殺してきた願い、元の世界に帰る方法を目の前にいる男が知っていると言うのだ。
「簡単な話だよ。この世界を消してしまえばいいのさ。そうすれば、元々この世界の構成要素ではない君は世界の消滅と共に弾き飛ばされ、君の存在が最も安定する世界、君が元いた世界に戻されるというわけさ。君は帰れるし、私の目的である世界の終焉も達せられる。お互いWin-Winだ。良い話だと思わないか?」
魔王の目的が世界の征服ではなく終焉であったのは少し意外だった。
「なるほど……で、その方法とは?」
「乗ってきたか、いいね。方法はとても簡単だ。君の持ってている、その聖剣を使えばいい」
「聖剣を?」
「そうだ。その聖剣には魔族を屠る能力の他に、この世界を終わらせる力もあるのだ。その剣を高く掲げて、ある言葉を唱える。滅びの呪文さ」
「……その呪文とは?」
「とても短く、簡単な言葉だ。『バ◯ス』こう唱えるだけでいい」
どこかで聞いたような呪文だった。
「とはいえ君には少し難しいかもな。この世界に来て一年近く、色々な人と出会い、人間関係もできただろう。自分の生まれた世界ではないとはいえ、これほど長く過ごせばこの世界にも愛着が」
「バ◯ス」
聖剣を抜き放ち高く掲げると、僕は1ミリの躊躇いもなくそう唱えた。視界が真っ白な光に包まれていく。眩しさに何も見えなくなる少し前、魔王の端正な顔が驚きに歪むのが見えた気がした。
そして
耳を聾する大音量に顔を上げると、自分が赤信号の横断歩道に立っているのを発見した。右を見ると、大型トラックが野太いクラクションを鳴らしている。慌ててトラックに向かい頭を下げると、僕は歩道にかけ戻った。
危なかった。トラックに轢かれて異世界に飛ばされるなんていうベタな展開になるところだった。歩きスマホはほどほどにしないとな。
お題:イヤホン、滅びの、聖剣