勝者=敗者 ~越えられない背中を目指して~

勝者=敗者 ~越えられない背中を目指して~

曙五郎の高校生活、柔道に打ち込んだ青春時代を書いています。

気分で更新しますので気長にお付き合いよろしくお願いいたします。

尚、登場人物はすべて架空の人物です。

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昼休憩を挟んで午後からは予定通り合同練習。

準備体操、打ち込みを30分ほど行い、各高校に赤帯を3本渡されての立ち技の元立ち5分×8本の3セットだった。

柏陵高校は最初に重量級の織元さんと増川さん、中量級の富田さんの3人に赤帯が渡った。

ほかの高校を見ていると、九州チャンプは赤帯をもらって立っているのが見えた。

五郎は、最初は九州チャンプとやるまではずっと当たりに行くと決めていた。

 

最初の元立ちの選手が前に並び挨拶をしてから、ブザーが鳴ると同時に赤帯を持った選手に残りの学生が向かっていった。

五郎もブザーと同時にダッシュしたが、全く似合わなかった。

3本目までは九州チャンプと練習出来ず、動きをずっと見ていたが、組んでから相手を崩して技に入るまでが桁違いに早いように感じた。

そして4本目でやっと捕まえることができた。

五郎は礼をして組もうとした瞬間、先に釣り手を取られて、嫌がって切ろうとした瞬間、今度は引手も取られてしまい、五郎は背負い投げで宙を舞っていた。

次は先に組もうと釣り手を出した瞬間、今度は釣り手をうまく利用されて袖釣りで投げられた。

その後も自分の組手になることなく、担ぎ技、足技でコロコロ投げられて終わりのブザーが鳴った。

先日から、絶対あたりに行くと決めていたのになにもできないまま終わり、五郎は何もできなかった自分がとても悔しかった。

2回目の元立ちで五郎は赤帯をもらった。

5分×8本での元立ちはほとんどが同じ階級の同級生があたりに来てくれた。

中には全中(全国中学校柔道大会)で見た選手や見たことのある名前の選手だったが、練習とはいえ力の差を感じる選手はおらず、五郎はこの元立ちでは自信がついた。

3セット目の元立ちはひとつ階級の上の選手にあたりに行った。

結果8本中2本しかできなかったものの学年が上の選手にも組負けることなく、いいところを持って投げれた。

最後に時間があったので自由乱取りが5本あったが、5本とも九州チャンプとは出来ずに2日目の練習が修了した。

 

個人的に今日の練習内容を整理すると、九州チャンプ以外はある程度満足の行く練習だったように思った。

しかし、福岡先生からは「ひとりとやることばかり考えるんではなく、せっかくこんなに選手が来ているんだから、もっと周りを見ながら練習をせんとあかん」と自分の動きが見透かされていたんだと思った。

 

練習後は先日と同じで消灯まで夕食、風呂を済ませての自由時間だった。

しかし、五郎はさすがに疲れが出てきていて、消灯前から睡魔が襲ってきて、気が付くと朝練の準備をしてる大国の物音で目が覚めた。

 

9:00になり2日目の練習試合が始まった。

先日、7試合に出て4勝2負1引き分けの五郎は初戦こそオーダーに入っていなかったものの2試合目からは3~4番目での出番だった。

 

しかし格上の高校との対戦が多く、前半だけで2負1分けと不調が続いた。

相手は73~81㎏級の選手で体格もパワーも上で、最終的に2本しっかり組まれて力でねじ伏せられる試合が多く、福岡先生からは「小さいんだから最初に2本とったら動かないと捕まってしまう、捕まってしまっては何もできない、そこをよく考えて柔道せなあかん」と指摘をもらった。

五郎も頭ではわかっていても、特に相四つの相手に対してガッツリ2本組まれてしまうとどうしようもない、かといって組まないと自分の技もかけられない。

五郎は自分の納得のいく柔道ができずにイライラしていた。

その時、丁度別の会場で九州チャンピオンが試合をやっていた。

チャンピオンも小さい体で中量級の選手と試合をしていた。

それを見ていると、先に自分で2本組んで釣り手を使いながらうまく相手をさばき崩して、いい状態のまま背負い投げに入りで綺麗に一本を取っていた。

見た感じ、チャンピオン自体パワーもあり、組負けないのもあるけどそれ以前に釣り手をうまく使って相手の組手にさせなかった事が今の背負い投げにつながったんだと五郎は感じた。

確かに相四つの場合、釣り手を意識的に使わないと落とされて全く技に入れない、ケンカ四つの場合も五郎は下から組に行くが釣り手を下から抜いてないと上から殺されてしまい技に入れない、次の試合では意識的に釣り手を使って相手をさばくことを意識してやって見ようと思った。

 

五郎の4試合目は4番目での出番で相手は73㎏級の選手で組手は右のケンカ四つの選手だった。

五郎は試合開始と共に釣り手を下から組んで手首のスナップを効かせながら右へ右へと回りこみ引手を取ったら、釣り手を付き、しゃくって相手との間合いをつめて背負い投げに入った、すると相手がうまく背中にのってそのまま畳に相手の背中が着き綺麗な一本勝ちとなった。

組み合っている時は相手のパワーを感じていたが、先に釣り手も組み、まわりながら引手を取って積極的に攻めた結果だと五郎は思った。

実際、試合後福岡先生も「今の動きや、今の動きを忘れずに次も頑張れ」を褒めてくれた。

この試合後、調子を取り戻した五郎は残り3試合に出してもらい結果4勝2負1引き分けで練習試合を終了した。

九州チャンピオンがいる高校とも試合の機会はあったものの、富田さんと対戦して寝技の得意な富田さんの引き込みを警戒して両者いいところがないまま時間となり引き分けに終わっていた。

 

午後からは合同練習なので1回はチャンピオンにあたりに行こうと五郎は決めていた。

 

 

 

 

夕食後は各自で入浴などを済ませて23:00の消灯まで適当に時間をつぶした。

五郎は内心では疲れていたので早く寝たかったのに、織元さんがポータブルテレビを持ってきており、林さん、大町さんと一緒に騒いでいたのでなかなか寝る事ができなかった。

五郎は宿舎にいてもすることがなかったので大国と外に出てみることにした。

しかし、12月と言うこともあり外はかなり冷え込んでいて広島よりも寒く感じたため、直ぐに中に入ろうとすると、グランドで誰かが走っている姿が見えた。

誰かと思い見える位置まで近づくと、なんと夕食で昔ばなし級のご飯を食べていた九州チャンピオンだった。

その姿を見て前に父が話していた事を思い出した。

その話とは、父が現役時代、ある大学で合宿をしている時、深夜なかなか寝付けなく宿舎をでて散歩をしていると、体育館の裏から「ガチャン、ガチャン」と音が聞こえてきて、父は気になり見に行くと、当時の中量級の世界チャンピオンで、中量級ながらアジア選手権の無差別級を制した藤井省吉

がベンチプレスを上げていたという話だった。

 

この時、五郎はチャンピオンになる人間は陰で相当の努力をしているんだと痛感した。

 

結局眠気も覚めてしまい、五郎は23:00の消灯になっても、先ほどの事が頭から離れずなかなか寝付くことができないまま朝を迎えた。

 

翌朝5:00過ぎに周りが騒がしくなり目を覚ました五郎だが実施は全く寝た気がしなく絶不調の状態で朝練に向かった。

 

6:00にグランドに集合して各学校で点呼を取り全員が円になり嘉山高校のキャプテンの号令で体操を始める。

しかし、面白いことに嘉山高校は高台にあり、朝は霧がすごく隣の人の姿がかろうじて分かるレベルで号令だけがグランドに響き全くなんの体操をしているのかわからない。

それでも、寒かったのでしっかり体を動かしておかないといけないので自分なりに入念にアップをした。

 

結局最後まで霧で前が見えずダッシュやサーキットなどどうしていいのかわからないまま合同トレーニングは終了した。

 

トレーニング後は宿舎に戻り物回りの整理をして朝食に行き9:00からの練習試合の準備をした。

 

 

 

 

7人制で行われる練習試合、五郎は軽量級で1年生と言うことで前半にでるのかと思っていたが、実際は中盤での出場が多く、相手は73~90㎏級の対戦となった。

7試合すべてに出場した五郎の個人成績は4勝2負1引だった。

内容も自分より大きな選手でしかも上級生がほとんどのなかで、大外刈り、背負い投げといった得意技を積極的にかけていきチームの勝利に貢献できた。

福岡先生からも試合内容については、負けた2試合のうち1試合でだけ、組手を妥協してしまいそのまま投げられたことでの激があったが、それ以外では先ず先ずの結果だったと評価してくれた。

しかしチームでの成績は4勝3負と後半で取らないといけないところで落としたり場合によっては先にポイントをとっているのに逆転されたり渋い結果の生徒が多く、福岡先生の機嫌も悪くなり最後2試合はチーム内でピリピリした緊張感のなかでの戦いだった。

 

試合が終わり、福岡先生からは「今日結果が悪かった生徒はどこが悪かったのかを自分なりに考えて、明日につなげるように。明日は今日より試合数が多くなる、集中力を切らしたらケガにもつながるので明日は今日以上に気を引き締めておくように、それと明日は午前中からの試合になるので気温も低いししっかりアップをしておくように。」との話があり、審判をした広川さんからは「審判をしていても勝負に対する気持ちを感じない生徒がいた、勝ち負けも大事だけど、組負けしたり力負けしてすぐに弱気にならないように」と言われて、個人的に胸が痛くなった。

 

ジャージに着替えて宿舎に帰る途中、大町さんが五郎に話しかけてきた。

「五郎は言いよな~、今日は全試合に出してもらえて、おれは1、2試合の成績が悪かったから後半はほとん出してもらえんかったわ~。」と。

たしかに大町さんは1、2試合取れる試合を落としてしまっていた。しかも前半で出してもらっていたので、同じ階級の選手での試合だった。

大町さんは新チームになってキャプテンを任され、試合の合間で福岡先生から、「大町、次はどこと試合や?」

と聞かれて、学校名が分からなかったり、違っていたりで先生から指摘を受ける場面も多く、その中でし試合の成績悪く、後半出してもらえない状況で、本人は相当な思いなんだと感じた。

しかし、五郎はどうすることも出来なかったので「大丈夫ですよ、明日もありますから」と答えるしかなかった。

 

宿舎について身支度をすませて夕食の為、食堂に向かった。

この日のメニューはトンカツでセルフスタイルでおぼんを持って順番に並んで待っていると、先に来ていた他校の生徒の茶碗を見て五郎は驚いた。

五郎と同じ軽量級の選手なのに、昔ばなしに出てくる量のご飯を平気な顔をして茶碗によそっていたのだ。

それを一緒に見ていた織元さんが「あいつ、2年で60キロ級の九州チャンプになった奴じゃ」と一言。

確かによく見ると軽量級ながらがっちりした体格で目つきも鋭い。

 

五郎は、小さいころから「食い力」とか「食べない奴は強くなれない」と言われてきたがこの状況をみて妙に納得した自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

遠征当日、高校に朝7時に集合してそこから福岡先生の運転するハイエースで嘉山高校を目指した。

 

途中、福岡先生の居眠り運転でみんな肝を冷やしながら、昼前に嘉山高校に到着した。

 

今回の遠征のスケジュールは以下の通り。

初日 午後:練習試合

2日 朝6:00:合同トレーニング 午前:練習試合 午後:合同練習

3日 朝6:00:合同トレーニング 午前:合同練習 午後:解散

 

到着すると、一旦宿泊する宿泊施設に荷物を置きに行った。

宿泊施設には既に5~6校が来ており、陣取り合戦が繰り広げられていた。

柏陵高校も適当に場所を確保して、道着に着替えて武道場へ向かった。

 

参加高校は例年の由布院の遠征よりは少ないと言っていたがそれでも九州の強豪校や古豪など15校の高校が嘉山高校に集まった。

練習試合は基本7人制で監督が学年、体重を考えながらオーダーを決めていくシステムで審判等もその各校から出さなくてはならず、柏陵はこの夏に引退した3年生の広川さんがコーチ兼審判で同行してくれた。

13時から開会式があり、そこからは空いている会場と高校を見つけて試合をしていく。

生徒達は早速、初日の午後から7試合を行わなければならなかった。