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【生き様、死に様に格差はあるか!?】

 また今年も夏がやってきた。それはすなわち、原爆の日や終戦記念日などの「反戦シーズン」の到来でもある。


 つい最近も筆者はあるメディアの読者投稿でこのような反戦の意見を目にした。


 「この時期になると、私は特攻隊を始めとする戦死者達の事を思い、無駄死にしていった彼らが哀れでなりません。このような愚かな戦争は間違っても繰り返されるべきではなく・・・(以下略)」


 無駄死に?


 哀れ?


 筆者はこのような論調を目にするたびにひどく不快な気分に襲われるのである。それはこういった論調の根底に、「反戦」とは程遠い「傲慢な優越感の吐露」を読みとってしまうからである。


 無論、戦場で散っていった多くの兵達にとって、その死は言うまでもなく本意ではなかったであろう。それは疑いようもない。が、だからと言って誰がそれを「無駄死に」と断じ、「哀れむ」事ができるのだろうか。「無駄死に」「哀れむ」と言った言葉使いは「優越者の言葉」である。安全圏である高い場所から見下ろすように投げかけられた言葉である。それはとりもなおさず、本気で「国」(なんなら「家族」「故郷」といった言葉に置き換えてもいい)を守るために生命の限りに戦い、散っていった者達の、その「生き様」にケチをつけているようなものであろう。侮辱だとさえ言っていい。


 考えてもみて欲しい。例えば、家族を守るためにがむしゃらに働いて過労に倒れるサラリーマンの話などは現在でもよく聞く話である。だが、そこで彼らに対して「無駄死にだ」「哀れだ」などという言葉をなげかける事が果たしてできるだろうか?


 ついでなので述べたいと思うのだが、「自らの意思ではなく、国の都合でいやいや戦わされて死んでいくから哀れな無駄死になのだ」という認識もナンセンスであろう、と筆者は思う。


 過労死していくサラリーマンだって、「家族や会社の都合でやむをえず無理な労働をさせられて死んでいく」事にはなんの変わりは無いのではあるまいか?人の世とは、そういったある種の、時としてはやりきれないような自己犠牲という名の「優しさ」の上に成り立っているのではないのだろうか?


 我が子をかばって事故死する親、危険な場所で命を賭けて取材を続け散っていくジャーナリスト、市民の平和のために殉職していく警察官や消防士、溺れている子供を助けようとして自らも濁流に飲まれる善意の青年……。これら挙げていけばきりがない、現代社会でもありふれた、優しく、せつなく、悲しく、それでいてなお人間の尊厳を高らかに主張してやまない幾多の死に様、生き様と、かつての戦争における戦死者達の死に様、生き様との間において、そこに何の格差もありえようはずはない、と筆者は思うのである。


 「反戦」の主張は真に結構。それについては筆者にも異論を差し挟む余地は無い。だが、それは「現在の戦争、あるいはその原因を取り除こうとする主張」であるべきであろう。間違っても、「過去の戦争に関わる全てを貶める主張」であってはならないし、そんな主張は主張者の自己満足以外になんの結果も生み出しはしないだろう。


 夏。戦死者だけでなく、なにかを守るために命を賭けたすべての人々に、筆者は思いをはせようと思う。


*本文は奈良県のNPO法人戦争体験保存会 の発行する冊子「戦中話」にホムラ が本名で連載しているコラムを転載したものです(05年夏号掲載分)。


神薙 炎さん&絵亜反吐さんホームサイト 「喫茶謎」

神薙 炎さん

神薙 炎(カルナギ ホムラ)さんは、詩人・小説家です。


1972年生で岡山県に在住されています。文筆業を副業とされています。
自称”邪道詩人”で、影響を受けた主な詩人は中原中也、尾崎豊とのことです。
’04年にHappy?Hippie!で朗読デビューされました。’05年詩のボクシング岡山大会で4位入賞されています。


代表作には、「夜の劇場・地獄変」 や「無限の回廊」があります。

「無限の回廊」はホームサイト「喫茶謎」 に音声ファイルで掲載されています。是非、一度、聴いてみて下さいね。


彼の詩は少年や道化師をテーマにした作品が多いですね。

人間の持つ聖俗の二面性からくる原罪(トラウマ)やその葛藤を表現しているのかもしれません。

また、技法は正統な現代詩から演劇的なパフォーマンスまでバラエティに富んでいます。

岡山の若手朗読詩人の中では最も力強い声の持ち主です。


また、「ポストモダン詩を騙る言葉遊びの駄文を『詩』と称する事については金輪際認めない」

との主張を貫いておられます。


それから、Happy?Hippie!主催者のM氏との「詩のフォーマット論争」で岡山文壇に激しい論争を巻き起こして論客デビューもされました。


彼の知識は日本文学や西洋文化にとどまらず、政治や科学など興味の範囲は多岐に渡っています。

また、アニメや漫画などサブカルチャーにも造詣が深いです。さらに共同制作で絵本も出版されています。


現在、mimucus、大朗読など県内の詩の朗読会で活躍されています。また、香川や奈良のAWCイベントなど県外にも遠征されています。


また、友人の絵亜反吐(エアヘッド)さんと組んだユニット「OLDFLAG」では、「音響朗読」と名乗ってマルチメディアなアート活動もされています。 代表作に「地獄の唄」 があります。


また、ロシアの画家ヴルーベリ「鎮座せるデーモン」 を連想させる詩「巨人の残像」 も掲載しています。

 

また、エッセイ「生き様、死に様に格差はあるか!?」 を掲載しています。

 

ホムラさんの代表作や新作は、下記のホームサイトをご覧下さいね!


神薙 炎さん&絵亜反吐さんホームサイト 「喫茶謎」

秋山基夫先生

秋山先生は岡山を代表する詩人のひとりです。


現代詩研究会「四士の会」や「大朗読」 に参加されています。


詩集には、
岡山詩集 」(和光出版)

家庭生活 」(思潮社)

キリンの立ち方 」(山陽新聞社)

十三人 」(思潮社)

二重予約の旅 」(思潮社)

西洋皿 」(和光出版)

などがあります。


また、評論集には、「詩行論 」(思潮社)があります。


また、詩集「家庭生活 」では、富田砕花賞を受賞されています。
山陽新聞社賞も受賞されています。

また、岡山の詩について下記のような本があります。

秋山 基夫, 坂本 明子, 岡 隆夫, 三沢 浩二

岡山の詩100年


岡隆夫先生

岡先生は岡山を代表する詩人のひとりです。


詩集には、

ひそやかにしゃがみ 」(沖積舎)

ぶどう園崩落 」(書肆青樹社)

身づくろい 」(思潮社)

麦をまく 」(書肆青樹社)

「岡隆夫の資産」(ブロス

「岡隆夫詩集」(現代詩人精選文庫)
「アマシをくらう」(手帖舎

「蒸気と化し雲と化し」(手帖舎)

「バラの花をかぞえはじめて」(手帖舎)

「病める水仙」(詩脈社)

などがあります。


また、詩集「ぶどう園崩落 」では、第49回農民文学賞を受賞されています。
第6回聖良寛文学賞も受賞されています。


三沢浩二先生

三沢先生は岡山を代表する詩人のひとりです。


詩集には、

「オートレースあるいは禅」(龍詩社)

「岩の客」(裸足グループ)

「心と日のうた」(湾の会)

「存在のなかのかすかな声」(知覚社)

「風鐸の男」(龍詩社)

「透明な船」(裸足発行所)

などがあります。

花房さん

花房さんは、鳥取県在住の詩人です。


鳥取県に居られます。

詩誌「菱」や季刊詩誌「舟」などに投稿されています。

詩誌「菱」は創刊1968年というおよそ50年もの歴史を持っておられます。

また、鳥取市で3ヶ月に一度、詩の合評会も開催されています。


詩集に「鳥」があります。


また、地元新聞にも詩評が掲載されたりしています。


花房さんとの出会いは偶然でした。

ふらりと立ち寄ったH文堂書店で並べられていた詩誌「菱」を見て、

詩誌が書店で販売されているなんて珍しいと思ってお店の方に尋ねました。

ところが、なんとその方こそ花房さんだったのでした。

可愛らしい小柄な女性でしたが、何処かたたずまいに

ご自分を律する厳しさを持っておられるような気配を感じました。
僕などは見据えられるとたじろいでしまいそうな、

すべてを見透かしてしまうような悠久からの眼差しがとても印象的でした。


また、いつかお会いしたいです。


新潟

「新潟」                        椿


2月のはじめごろやったと思います。
凍りついた渓谷に冬の日光が反射するのがあんまりキレイで
車を止めてワンカップを飲みながら詩なんか書いてたら
村の人2人、おっちゃんとおばちゃんが近づいてきて、
うちに来なさいって。
へ??
あれ、あれというまにうちにあげられて
おいしい鍋とか地元の酒とかいっぱいでてきて、
「話したら楽になるもんやから、なんでも聞いてあげるから、、って。」
あ?? う、、うん。
なんか、悪いなあと思って、
とりあえず、死んでしまいたいなあと思ってましたってことにして
日頃の愚痴とか、いろいろきいてもうた。

いや、べつに死にに来たんとちがうんやけど、
なんか、ほんまは死にに来てん、みたいな気分になって、
素朴な人らにはげましてもうてるうちに、ちょっと泣いてもうた。
ほんなら今度は、「今日はもう遅いから、泊まっていき、って」。
あ、、うん。ありがとう、、って  変な話や。

んで、次の夏にもういっぺん、お礼を持って行ったときにはほんまのこと話したら、
えらいうけてて、大阪を見てみたいっていうもんやから案内したり。
僕のほうも、近くに温泉が湧いたっていうもんやからまた遊びに行って、
晩はまたうちに泊めてもうて。

2004年10月24日
連絡がとれんようになった。
あんなええ人らの足元から、何回も、何日も地震が襲って、村はこわされた。
1週間ほどしたら、突然電話がかかってきた。
もう、「もしもし」からしてあの優しい、ちょっとおもろい方言やから
一発でおっちゃんやってわかった。 生きててん。
うちはこわれたけど、ワシらも近所のみんなも無事や、、って。
僕はあんまり腹が立って、
自然なんかもう、、最低の憎たらしい奴や、とか
阪神大震災の時にも友達がいっぱい殺されて・・・とか、
つい話してしまおうとしたら、
「もう、いいやん」って。
日本に住んでる以上はしょうがないって。
それより、落ち着いたらまた遊ぼな、って。
言いながら、泣いてはるのがわかった。
 
2日後に手紙が来た。
おっちゃんとこの息子さん、って僕より年上やって言ってたけど、
単身赴任やなかったんか。・・
神戸の震災で亡くなった・・    と書いてある
毎日電話がかかってきて、関西の言葉になじみにくい、とか
でも住みやすいとこやし、頑張るから、、、って言ってはった矢先の事やったとか・・

もういい。 全部わかった。 変な話や、とか言っててごめん。

あのとき、途中まで書いてた詩は、
「ここはまんが日本昔ばなしに出てくる天国か」っていう題名。
破って捨てといた。

それより、
おっちゃんら、ちょっとでも早よう、会いにいくからな。
鍋つくったげるから、 また地酒のみながら話し、しよう。
話したら、ちょっとでも楽になるもんやから。
なんでも聞かしてもらうから。


椿さんのホームサイト「椿の宿」

椿さん

椿さんは詩人です。


大阪弁を大切にする詩人です。


阪神淡路大震災の被災者であり、

「災害詩シリーズ」など人情味溢れるヒューマニズムに根ざした詩を朗読します。


また、詩の朗読会「ALL WORDS COA(AWC)」 の主宰者です。

「フルオープンスタイル・フルメインキャスト」をコンセプトに活動されています。

大阪を拠点に香川県や奈良県でもAWCを開催しています。


このブログには、「新潟」 を掲載しています。


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みんなのひっこし

「みんなのひっこし」     へい太


空っぽになった家は
背中が縦に割れたセミの抜け殻


背中の殻を打ち破り 白い命があらわになる
打つ蝉の身は
市中心部の高層マンションに移り住む


空中都市からの眺めは
街と空が調和しているはずなのに


羽の生えた背中がまた閉じて
茶色く変色してゆく
鬱にこもった蝉の命


羽化できぬヒトは
こうして羽を持つようになったけれど
羽ばたく前に
再び殻に閉じこもり
もがいている


遷都してきた空蝉の命は最早
大切にしまっておく場所もなく
むき出しのままさらされて


へい太さんのホームサイト「へい太のほむぺ」

へい太さん

へい太さんは詩人です。


へい太さんの詩はダイレクトに心の奥底にぶつかってくる詩に感じられます。

詩の題材は社会や教育が取り上げられていますが、その奥底にはゴツゴツした野人の拳を感じます。

へい太さんは、まるで近代日本の良心的市民のようであり、あるいは、

縄文時代に星空の下で焚火を囲んで、(科学や理屈ではなく)

身体や魂を通して宇宙や世界をとても奥深く感じ取っている野生人であるように感じられます。


へい太さんは、「叫ぶ詩人の会」ドリアン助川(現・明川哲也)に多大な影響を受け、詩作をはじめられたそうです。


へい太さんは詩の朗読会「Happy?Hippie!」(現在mimucus)の主宰者の一人でもあります。


また、学校で教鞭を取る教師(教育者)でもあります。


このブログでは、「みんなのひっこし」 を掲載しています。

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